去年、祖父が亡くなった。


そのとき私は舞台の稽古中で、

家には高齢の愛猫、ロビンもいて

家を留守にすることはできなくて

お葬式とかには参加せず、私は留守番担当だった。


ロビンと2人で過ごす家で、

ロビンをブラッシングしながら私が時折思い出していたのは

おじいちゃんの大粒の涙だった。





祖父が入院する前、

姪っ子と会わせようと家族で祖父母の家を訪れていて

そこで数日過ごした。


久しぶりに会ったおじいちゃんは

記憶の中のおじいちゃんよりもすごく痩せていた。


「もうそんなに欲しゅうない」と言って

目の前のお皿に全然手を伸ばさなくて

私はすごく、びっくりして、だって、あんなに食べる人だったのに。


それは、すべての

欲、みたいなものから

解放されたかのような様子で

祖父から“執着”という単語が抜け落ちたようだった。


ただニコニコと、ようやく会えた自分の曾孫を見て

時々、おぼつかない手で趣味である写真を撮っていた。



私たちが帰京する前の日、

祖父はいつもより長く起きていて

たまに会話に交じりつつ、でもじっと

リビングを見渡せる自分の椅子に座っていた。


祖父はずっと頭がとてもしっかりしていて、

でも祖母は、認知症が少し進んでいた。


認知症の祖母は、曾孫が寒いだろうから毛布をかけてやりんさい、とひたすらに繰り返す。

私や姉夫婦は、この部屋は暑いくらいだし、汗をかいているから必要ない、とひたすらに返事をする。


そのやり取りを何度も何度も何度もした末、

私は

「おじいちゃん、そろそろ寝たら?遅くなってきたよ。」と祖父に声をかけた。


祖母は、祖父より先に寝ることはない。

だから

祖父が寝れば、祖母も寝てくれるだろうと私は思った。

だから、私は祖父に声をかけた。

そして思った通りになった。


だけど、今思えば、今となっては、


あれが、私の祖父と姪っ子が共に過ごす最後の夜だったのだ。




次の日、私たちが帰るとき

曾孫の手をとって

おじいちゃんは泣いた。


こういうのを大粒の涙って言うのかな、と思った。


おじいちゃんの白い顔に透明の、大粒の涙が

ぽろぽろ ぽろぽろ

落ちていった。


彼は自分の顔を手で押さえていたけれど

涙は止まってなかった。


私は1番最後に、いつもみたいに「またね!」と言って玄関を出たあと

思うところがあって、また戻った。

そして「また来るからね、長生きしてね」って

言ってみた。

今にも消えてしまいそうなおじいちゃんに、何を言えばいいんだろうと思いながら出た言葉だった。

おじいちゃんは涙を拭いながらなんとなくの、うんうん、を言って、それは「分かったから早く行きなさい」って言ってるように聞こえて

私は今まであんまり感じたことのないスッキリしない感覚を少しだけ抱えながらも、祖父母の家をあとにした。





祖父が入院したのはその2日後で

そこから約1か月後に亡くなった。


私は、祖父母と暮らしたことがない。

大人になってからは会うのは数年に1度くらいで

私にとっては会わない方が日常で

だからあんまり実感がないまま、

おじいちゃんはいつの間にかいなくなった。


だけどお葬式やもろもろの手続きを終え、しばらくして1度家に帰ってきた父に「おかえり」を言いに行ったとき、

父の顔を見ると急に「この人は、自分の父親を見送ってきたのか」と実感がわいて、なんかこみ上げてきて


あの日、私の一言でおじいちゃんと姪っ子の最後の夜を切り上げさせてしまったことを、

言おうと思って、言えなくなった。


気がする。

いや、言ったんだっけな。


泣きそうになったことに一瞬頭が真っ白になって

でも泣くもんか、と思って

だから、あんまりそのときの会話を覚えていない。





姉の話によると

おじいちゃんは姉の「また来るからね」って言葉にも返事をしなかったらしい。


あのときもう、最後だと感じていたのだろうか。


私が人生で初めて見た大粒の涙は

少しキラキラして見えた。