久しぶりに、大好きなアフタヌーンティーへ。
なにを食べるかすごく迷った。
スコーンにした。
久しぶりのスコーン。
食べて改めて思い出した、私、
アフタヌーンティーのスコーンが大好きだ。
自分の好きなもの、好きなこと、苦手なこと、乗り越えなきゃいけない課題、幸せのもと、満たされる瞬間、
とか、そういうことに、今一度敏感になりたいなと思う今日この頃。
私は結構、いやかなり、人の目を気にするし、自分の欲もあるけど、絶対譲れないことはわりと限られてはいるから、グレーな選択をすることが昔に比べ今はかなり多くなった。
そしたら、自分のことがよく分からないことが増えた。
たとえば
自分が今何を食べたいのか、分からないときが増えた。
好きじゃないトマトとかパクチーとかじゃなければ何でも良くて、他人といるときは大抵相手に決めてもらう。
「何でもいい」って全部を相手に投げると相手が大変そうなときは、「んー、和食かイタリアンとかだと嬉しいかな。あとはお肉とか!普通にカフェとかでもいいよね」と、選択肢を絞ってんだか絞ってないんだかみたいなことを言って、最終決定は相手に投げる。
その方が楽。
自分の望みを言うよりも。
私は、誰かと過ごしているとき、相手に対して不満を抱くことがほぼない。基本楽しい。
だけど、相手はどうか分からない。
だから、
自分が何かを決めるより相手に合わせた方が
ほんとにこれで良かったのかな、このお店で良かったのかな、ほんとにちゃんと美味しいかな、楽しんでくれてるかな、とか、いろいろ心配しなくて済む。
自分と過ごす時間を少しでも相手に後悔して欲しくなくて、少しでも相手の望み通りの状況にしたい。
逆に、自分がいろいろ決めたり、がんばらなきゃいけないような予感がする場は、なんとなくな理由をつけて避けるようになった。
他人といるときに、何かを選ぶことに付随する責任をなるべく背負いたくなくて。心配事を減らしたくて。
そんなふうにして、グレーを意識するようになってからすごく楽に生きられるようになった。
そしたら
ふと1人になったときでも
自分の強い欲がよく分からなくて、なんでもいいや、が常で、
いろんなことへのこだわりが減った。たぶん、悪い意味で。
すべてなんとなくで生きるようになった。
そして
いざというときの決断力がかなり鈍った。
で、決められないから、放棄する。
考えるのをやめる。
そもそも選ばないことを選択するようになった。
この間、ふと、私はなんだかずいぶんぼんやりしているなぁと気づいた。
今何を食べたいかということ自体は、
正直、それほど大きな問題ではないとおもう。
それに何事もバランスって大事で、
グレーな部分も必要な時がたくさんある。
でも一事が万事そんな調子じゃ、
「私」を作る成分全部がグレーになっちゃう。
どっちつかず過ぎる私は、背景に馴染みすぎて薄っぺらな存在になっちゃうかもしれない。
バランスが大事なのだ。
最近私は、人はいつ死ぬか分からないんだってことを知った。
明日死ぬかもしれない。
私だけじゃなくて、私の友達もそうだ。
みんな、ある日突然いなくなるかもしれない。
今食べてるスコーンが、人生で最後のスコーンになるかもしれない。
そう思ったら、
自分がそういえばアフタヌーンティーのスコーンが大好きだったってことを思い出して、
今こうして大好きなスコーンを食べていることはかなり特別なことなんだという気がした。
誰かと一緒に過ごすとき
近頃の私は自分の意思を持って、きちんと参加するってことをしてなかったんだとおもった。
相手を尊重しているようで、ただその場に不参加だっただけだ。
誰かと過ごす時間なんて、ほんとに、すごくすごく、特別なことなのに。
自分の輪郭がとてもぼんやりとしたものになっている。
だから今一度、自分の欲とか、意思みたいなものに敏感になりたいなと思う。
疲れちゃわない程度に、
でも、もったいなくない過ごし方を。