今日仲良しに、サラッと言われた
「(自分の生き方とか考えとか)分かってくれる人は1人いれば充分でしょ」
という言葉が、わりと頭にくっついて離れない。

聞いてすぐは、
あれそうかな、ほんとにそうかな、
より多くの人たちに認めてもらうべきでは、
と思ったのだけど

今思い出すと
うーーむ、たしかに。そうだ。

私は何を欲深くなっていたのだろうか。
いや、というか、焦っていたのか。



結局のところ人間はみな1人だと思う。
何があっても。

そもそもみんな、育ちも居る環境も考え方も違うんだ、全員と分かり合おうというのは無理な話だ。努力は、していいはずだけれど。

自分のことをいちばん理解してあげられるのはきっと自分しかいない、
それを大前提にして考えたとき、
自分以外にもう1人、自分を、自分の一部だけでも、理解してくれる人がいるのなら、それはどんなにか幸運なことだろうと思う。


大勢に認められることが先行なのではなくて
1人でも分かり合える人がいることに感謝して、そこを立ち返りどころにして、また外の世界へがんばりに行く。

そんな意識を持てたら、いいのだと思った。


そしてその上で私は、外の世界で、
何か違うものを互いに持っている人と接して産まれた不協和音から、互いに調整して調整して
いつか綺麗な協和音を聞ける日を待ち望まずにはいられないし、
なんなら不協和音すら愛し合えるような人との出会いを大切にしたいのだとおもう。




なんだかんだ、結局欲張りなわたし。
こんな私、そんな嫌いじゃないけれど。