私の家の近くに、
大好きなレストランがあります。
いいえ、
ありました。
というのも、そのお店、
11月に、どうやら閉店してしまったみたいなんです。
地元にあるレストランの中で一番好きなお店。
お店の名前に「食堂」がつくんだけど、
それが好きだった理由のひとつ。
「食堂」って、「人がご飯を楽しみに集まる場所」っていうイメージがあって、好きなんだ。
そして、そのイメージ通りのお店だったの。
一部にレンガを使って作られたお店で
こじんまりとしているけど店内はこざっぱりとしていて
所々に見え隠れする装飾がかわいい。
キッチンはオープンキッチンで
この開放的な内装が
いつ行っても「ウェルカム!」な感じがしてね。
そしてまた、店員さんがとっても感じが良くて「ウェルカム!」なの。
いつも爽やかな笑顔でオーダーを聞いてくれる女の人と
遠目で見たことしかないけど、調理場にいる人は若い男の人と、もう少し年上の人もいたな。
空気感が良かった。
無駄にテンション高いわけじゃなくて、でもお店に入った途端に、ホッとするような。
いつ行ってもなんとなく歓迎してくれてるような気がして
たまにそれを思い出してはまたあの雰囲気に触れたくて、行きたくなるんだよね。
いつも家族で行ってた。
何か特別なことがあったときとか
親戚がうちに遊びに来たとき、
久しぶりに今日は外食しようかーみたいな日とか
最近全然行ってないから行こうか、みたいな日もあったし
食後に食べるゆずシャーベットが美味しすぎてそれを食べに行く日もあったな。
きっと、お店の人も、私たちのこと覚えてくれてたんじゃないかなぁ。
そんな、気がするの。
大学生、社会人になるにつれて
足を運ぶ機会が少なくなってた。
自分がいろいろ忙しくなって夜ご飯を家で食べない日が増えたし
それに伴って家族が揃う日も少なくなってた。
なんとなく、そこのレストランは家族みんなで行く、っていう気持ちが強かったんだよね。
それでもたまに思い出しては、行きたくなって、行ってたのに。
のに。
だけど。
最後に行ったのは、いつだったか。
何よりショックなのは
いつの間にか、閉店してたこと。
つまり、自分で閉店してることに気付かなかったんだ。
今朝、お父さんに言われて知ったの。
お店の貼り紙に、前もって閉店することをあんまり宣伝しなかったと、書いてあったけど
それでも毎日通る道にそのお店はあるのに、
私はなんで気付かなかったんだろう。気付けなかったんだろう。
あるのが、当たり前になってた。
自分の生活から、自分の「好きなお店リスト」から、
そのお店がなくなることを、まったく想像してなかった。
当然ずっとあるものだと思ってた。
あることを信じて疑わなかった、
それがいつかなくなるかもしれないってことを考えたことなんか一回もなかった。
絶対なんて、ないんだね。
家族でよく行ったお店。
やっぱりここは美味しいね、ってみんなで言い合いながら食べたお料理はもう
この先どこに行っても食べられることはないんだな。
悲しいね。寂しいね。
篠原彩、25歳の冬、突然できた心のぽっかり穴。
このぽっかり穴を埋められるものはあのお店の他にないのに。
どうしてくれるんだろう。
きっとこの先、思い出しては、悲しくなる。
それともそれすら、忘れるときがくるんだろうか。
悲しいね。寂しいね。
今はまだ、ぽっかり穴。
そのうちこのぽっかり穴に
「ありがとう」がたくさん降り積もると、いいな。
なんて、綺麗事、
今はまだ、願うことしかできないよ。
大好きなレストランがあります。
いいえ、
ありました。
というのも、そのお店、
11月に、どうやら閉店してしまったみたいなんです。
地元にあるレストランの中で一番好きなお店。
お店の名前に「食堂」がつくんだけど、
それが好きだった理由のひとつ。
「食堂」って、「人がご飯を楽しみに集まる場所」っていうイメージがあって、好きなんだ。
そして、そのイメージ通りのお店だったの。
一部にレンガを使って作られたお店で
こじんまりとしているけど店内はこざっぱりとしていて
所々に見え隠れする装飾がかわいい。
キッチンはオープンキッチンで
この開放的な内装が
いつ行っても「ウェルカム!」な感じがしてね。
そしてまた、店員さんがとっても感じが良くて「ウェルカム!」なの。
いつも爽やかな笑顔でオーダーを聞いてくれる女の人と
遠目で見たことしかないけど、調理場にいる人は若い男の人と、もう少し年上の人もいたな。
空気感が良かった。
無駄にテンション高いわけじゃなくて、でもお店に入った途端に、ホッとするような。
いつ行ってもなんとなく歓迎してくれてるような気がして
たまにそれを思い出してはまたあの雰囲気に触れたくて、行きたくなるんだよね。
いつも家族で行ってた。
何か特別なことがあったときとか
親戚がうちに遊びに来たとき、
久しぶりに今日は外食しようかーみたいな日とか
最近全然行ってないから行こうか、みたいな日もあったし
食後に食べるゆずシャーベットが美味しすぎてそれを食べに行く日もあったな。
きっと、お店の人も、私たちのこと覚えてくれてたんじゃないかなぁ。
そんな、気がするの。
大学生、社会人になるにつれて
足を運ぶ機会が少なくなってた。
自分がいろいろ忙しくなって夜ご飯を家で食べない日が増えたし
それに伴って家族が揃う日も少なくなってた。
なんとなく、そこのレストランは家族みんなで行く、っていう気持ちが強かったんだよね。
それでもたまに思い出しては、行きたくなって、行ってたのに。
のに。
だけど。
最後に行ったのは、いつだったか。
何よりショックなのは
いつの間にか、閉店してたこと。
つまり、自分で閉店してることに気付かなかったんだ。
今朝、お父さんに言われて知ったの。
お店の貼り紙に、前もって閉店することをあんまり宣伝しなかったと、書いてあったけど
それでも毎日通る道にそのお店はあるのに、
私はなんで気付かなかったんだろう。気付けなかったんだろう。
あるのが、当たり前になってた。
自分の生活から、自分の「好きなお店リスト」から、
そのお店がなくなることを、まったく想像してなかった。
当然ずっとあるものだと思ってた。
あることを信じて疑わなかった、
それがいつかなくなるかもしれないってことを考えたことなんか一回もなかった。
絶対なんて、ないんだね。
家族でよく行ったお店。
やっぱりここは美味しいね、ってみんなで言い合いながら食べたお料理はもう
この先どこに行っても食べられることはないんだな。
悲しいね。寂しいね。
篠原彩、25歳の冬、突然できた心のぽっかり穴。
このぽっかり穴を埋められるものはあのお店の他にないのに。
どうしてくれるんだろう。
きっとこの先、思い出しては、悲しくなる。
それともそれすら、忘れるときがくるんだろうか。
悲しいね。寂しいね。
今はまだ、ぽっかり穴。
そのうちこのぽっかり穴に
「ありがとう」がたくさん降り積もると、いいな。
なんて、綺麗事、
今はまだ、願うことしかできないよ。