私の家から約5秒のところにバス停があった。
千葉行きのバス停は、お隣のプレハブで暮らしていた「カッチャン」がほとんど朝からフルボリュームでロックっぽい曲を流していたので、賑やかだった。
そのバス停には、近くのケ-ブルテレビのアナウンサー(現ジェイコム)もよく利用していた。
小学校が遠かったので、母が心配して、小1の頃バスを利用したこともあった。
「ユキオ」と二人で。
また、おばあちゃんの足が悪く、一緒に「京成千葉中央駅」に行って、当時の車庫の中の「ロッテリア」で、チーズバーガーなどをよく食べた。
おじいちゃんもやっぱり足が悪かったので、手を引いた。
バスの中で、おじいちゃんは、ベロをなめながら、万札を数えていた。
当時、c-oneの中にドジョウが売っていて、よく買った。
おじいちゃんは、魚を食べるとき、残った骨にお茶をかけて飲んでいた。
父曰く、「医者ごろし」だった。
デイリー横の四街道行きのバスは、二人でよくセイユーに行って、おもちゃやお菓子をたくさん買った。
考えてみれば、父との思い出は少ない。
それは大工を一生懸命こなしていたからだ。
おじいちゃんとおばあちゃんの年金と父のお金で遊べたことに感謝。
ちなみに、1998年に若葉大橋が開通して路線が変わってしまった。
それとともに、カッチャンの音楽のボリュームも下がっていった