最近、発達障害の子供は、困った子ではなく、困っている子なのであるという本や文に出会うのですが、やっぱりそれはちがうと思うのです。
おそらく発達障害であろうアス夫と暮らして20年、困っているのは本人ではなくて、周りにいる人間=私であるとつくづく思う日々です。
例えば、こんなことがありました↓。
先日、私の電動自転車に乗ってでかけようとしているので、
心の声(明日私が通勤で使う分のバッテリーなくなりそうだから)
発した声「自転車乗ったら、バッテリー外して家に持ってきてね」
と、アス夫に言いました。
翌朝、ねんのためバッテリーを確認すると、充電されていないままの充電器が充電ボックス置いてあるではありませんか
。
通勤に自転車を使っていることは知っているのに、充電されていない!!
家に持ってきてねという言葉だけを受け止めちゃってるではありませんか![]()
言葉を額面通りに受け止めているのでしょうけど
普通、人から借りたら、もとに戻して返すのが礼儀では?
と、いくら私が怒って怒鳴り散らしたところで、結局、アス夫は困らないのです。
充電されていない事実は変わらないのですから。
困るのは、通勤の時に重たい非電動自転車に乗らなければならなくなった私なのです
。
アス夫といると、そういうことがとても多いです。
例えば、貸したものについてもそうです。
人によってちがうかもしれませんが、貸したものって、借りた方から、ありがとうって返してくれるものだと思っていたのですが、アス夫の場合、貸してあげても催促しないと帰ってきません。
私の前提が、「相手から返してくる」だったので、貸したことをすっかり忘れていると、いざ使おうと思った時にそれがなくて困ったということがなんどもあり、以降毎回忘れずに催促して返してもらうようにしています。
これも、こちら側の困り感と工夫です。
一緒に暮らし始めてびっくりしたのが、傘
です。
私の傘を勝手に使っては平気でなくしてくる。無くしても申し訳なさそうに謝るわけではなく、チャラい悪かったという一言と、弁償もなし。
何度かやられてから、自分も安い傘しか買わないようにしました
。
勝手に人のものを使って、なくす上に、なくしたことも本人はすっかり忘れているのか、なんの報告もなく、雨の日にさぁあのお気に入りの傘を使おう!
と、傘立てを見ると無いんですよ!
私がさす傘が無いんです!これ、かなり迷惑じゃないですか?![]()
アス夫のような人と暮らすと、自己理解の低さに驚かされ、その自己理解の低さゆえに、周りの人に迷惑をかけても気がついていない、もしくは逆ギレをするという事態に本当に嫌気がさし、さすがに我慢の限界を感じて居ます。