私がアス夫と暮らしてきた約20年近い年月で、周りからは、アス夫はとても良い人で人付き合いも良く優しそうに見えるのに、不平をいう私がおかしいのではないか?と家族にも友人にも、アス夫と暮らす辛さを誰にも理解してもらえなかった理由を論理的に書いてくださっている文章をみつけたので、備忘録として残しておきます。

 

とあるホームページでみつけた一節

「社会性(モラル)の欠け」「想像力の欠け」による対人関係の苦しみ


アスペルガーも自己愛性人格障害も「自分のことしか考えてない自己中で自己主張の強い人」くらいに周囲から思われることが多く、普通に関わる分には(自分が相手に振り回されなければ)楽しいのですが、これが組織(家族、学校、会社)の中に入ると大変なことになります。

 

→そうなんですよ。深く関わらなければ、ちょっと変わってる人とか、マイペースな人だけで、悪い人じゃないよね、くらいなものなんですよ。

だけどこれがひとたび、利害関係のある関係になると大変なんです。

 

アス夫がやらなかったこともやってしまったことも家族、夫婦となれば責任をはたさなければならないのです。共同体なんですから。

でもアス夫は夫婦は二人三脚であるとか、共同体であるということ全く理解しようとしていませんでした。いくら言っても理解してくれませんでした。俺がやるからいいだろう!と。よく言っていました。

結婚して18年、こどもが6歳くらいになってはじめて少し意識がでたように思います。

 

子どもが生まれる前までの6〜7年間はアス夫と距離をとれば、うまくいくということがわかり、共働きでしたが、できるだけ休日が2日あれば1日はアス夫が一人でいられる時間をつくり、残りの1日で一緒に出かけるなど、こちらで距離をうまくとってあげたり、アス夫は時間を守ることが苦手なので、自分の用事で何時までにつかなければいけないというときは、別行動するようにしていました。

 

だけど、こどもが生まれるとそうもいきません。

アス夫の時間のルーズさには本当に苦しめられました。それでも彼は自分が迷惑をかけてきたことを何もなかったかのようにおもっているようです。

 

こどもの幼稚園バスの時間に間に合わない、習い事には当たり前のように遅刻する、待ち合わせには2時間おくれてくる、そんなのザラでした。

 

今思うと、状況把握を間違ってしたまま大人になっているのかもしれませんね。


特に、「3、想像力の欠けによる共感能力欠如」の対人関係の苦しみだけでなく、モラルとしての「2、社会性の欠け」に苦しめられます。

例えば、
家族、学校、会社で、誰かが自殺したり、過労死したり、あるいは急に親族が亡くなって忌引きしても、アスペルガーや自己愛性人格障害者がその人に掛ける言葉は、
「あっそう。それで?」でしょう。
普通なら驚いて「それは大変でしたね」とか「なにか思い煩うことがあったのかな・・」とか一寸でも疑問に思ったり、言うはずですが、そんなことは微塵も、なんの関心もありません。
興味あるのは自分だけです。自分中心以外の世界は存在してないのです。

 

→さすがにそこまでではありませんが、日常会話であいずちがないですし、こちらがいくら、「アスペの息子を育てることが大変なんだよ」と言っても、共感してくれることはなく、「なんで俺に絡むんだよ。絡むなよ」と言うのです。

会話のほとんどが共感してもらえないし、想像力がないので、ことばの表面のみでの会話になるし、自分の世界にいつもいるようで、こちらが、「えんぴつとって!』と鉛筆が必要としている場面を目の前にして言っているのに、「えんぴつ?」とオウム返しにしてきます。

家族3人のうち、私以外の2人がこうなので、コミュニケーションにあまりにストレスを感じます。

 

このような場面の他にも、特に病人や障がい者や子どもなど社会的弱者は軽視する傾向(そもそも無関心)なので、その時にモラルの低さに周囲との軋轢や葛藤が生じます。

また、同じく家族、学校、会社で、彼らに「仕事などの行動を押し付けられる」ことが多いと思います。
アスペルガーは行動を順序立ててマニュアル化していればその通りに動きますが、裏を返せばそれ以外の行動はできません。
例えば、時間が指定してあれば、残業代云々関係なく、その仕事が途中でも時間にさっさと帰ってしまうでしょう。逆にやることに熱中しすぎて離れられなくなる場合もあります。特に周囲への断りや謝罪もありません。
さっさと帰られると、周囲の人は、仕事を押し付けられた気分になると思います。また断りや謝罪もないので余計に勘違いされやすいです。

 

 

(アスペルガー症候群と自己愛性人格障害の違いと対処法 | リバータリアン心理学研究所

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