「私が勤務している病院のある看護師がこう言いました。「私は母が大好きなので、将来認知症になって何もわからなくなっても、胃ろうを造って私のためにずっと生きていてほしい」。
 私は彼女に頼みました。「娘の願いをかなえてくれるかどうか、お母さんに聞いてみて」と。次の日、彼女はこう言いました。「だめですって。そんなことはしたくないって」。
 やはり、だれでもいやなのです。事実、私の周囲には、将来の自分に胃ろうを希望する人は一人もいません。自分はいやだけれど、親や配偶者には希望する、これは許されることでしょうか。在宅介護をしている家族は別として、毎日24時間、介護しているのは病院や施設の職員です。たまにお見舞いに来る家族には本人のつらさはわかりません。もし、24時間、寝たきりで言葉も発せない人を10年も介護していたら、生きているだけでいいというのは自分のエゴに過ぎないことがわかると思います。」

 

・・・そういう家族は、親が少しでも長生きできる判断をしたということで満足しているのかもしれませんね。でも、自分が元気になる可能性も感じられず、死ぬまで寝たきりのままで、苦痛を伴う処置をされ、早く死にたいという意思表示もできないまま病院の天井を見るだけ、あるいはそれもできずに自分が生きてるのか死んでるのかもわからない、苦しみを感じるときは生きてると思うかもしれないけど、いつ死ぬのかの見通しさえたたない時間を過ごすって、地獄だとしか思えない。

 

「昔勤めていた病院でのことです。ある76歳の女性入院患者さんはアルツハイマー病終末期で、物を食べるとむせてしまい、肺炎を繰り返していました。寝たきりで言葉は発せず、家族の顔もわかりません。私がご主人に「もう食べることは無理なので、胃ろうを造りますか」と聞くと、ご主人は迷うことなく「胃ろうは造りたくない。このまま食べさせていたい」と言いました。
 ご主人は、何年間も寝たきりの妻を自宅で介護し、入院後も毎朝、毎晩、みずから希望して食事を食べさせに来ていました。結局、その患者さんは、肺炎で亡くなりました。その当時の私は、むせて肺炎を繰り返すのだから胃ろうを造るのは当然だと思っていたので、ご主人の気持ちが理解できませんでした。しかし、今ではわかります。理解できなかったことを申し訳なく思います。」

 

・・・日本では医者も、延命措置するのが当たり前、というところから入って、やってるうちにおかしいなと思って、それで理解できるようになったということらしいですね。

 

「わが国では医師も看護師も家族も、自分にはやってほしくないことを、物言わぬ高齢者に行っているのです。一体、だれのためにやっているのでしょうか。「己の欲せざる所は人に施すなかれ」です。」 (つづく)