ヤミ牛タンの煮込みを作ったのですが、最後に汁を煮詰めてタレにするのに

ちょいとやりすぎて濃い濃い味になってしまいました。

 

自炊はオールウェイズ目分量、アスペ嫁(仮)です。

 

今日は「見えてるものが全てではない」というお話です。

 

 

 

 

 

バカ・クズ・ゴミにも

 

私は記事中で考えが浅はかな人達のことを「バカ」だの「クズ」だの

「ゴミ」だのとそれはまぁ酷い呼び方をすることがあります。

 

まぁ、そういう表現をする理由の大半は「私の性格が悪いから」ではあるのですが、

実は「それだけ」ではなかったりします。

 

 

 

 

 

トーンポリシングは是か非か

 

「どんなに主張が正しかったとしても、その言い方では伝わらない」

こういう理屈で相手の主張を叩き潰すことを『トーンポリシング』と言います。

 

社会的な課題など「何を話しているか」が重要であるはずの問題提起の場面において

「どのように話しているか」論点をすり替える詭弁の一種です。

 

話し方だけではなく、文章においても「〇〇という言葉遣いは良くない」などと

「自分の思い通りにならないこと」「さも常識外れであるかのように」指摘して

「表現の自由」「自分の正しさで叩き潰す」ことに快感を覚える人がいます。

 

日頃から言っているように「是か非か」の二元論で語れることなど無いに等しく、

このトーンポリシングにおいても「状況によるよね」と最終なるわけなのですが。

 

ただ「怒鳴らないで、冷静に話さないと」という場面は、立場の違いはあれど

誰しもが一度くらい経験したことがあるのではないでしょうか。

 

特に女性は感情が高ぶると、いわゆる「ヒスる」という状態になりがちなので

「感情と事実の切り分け」を常に意識したいところです。

 

 

 

 

 

「自分は何でも知っている」などという

 

誰かが自分の思い通りに動かない時「こいつは悪人だ」とするのは楽です。

 

今この瞬間に自分が見ているその人の姿だけ「彼(女)の全て」であり、

その全てを見ている崇高な私他人の善悪を判断できる全能の神であり、

自らの判断によって行う命の選別さえも当然に承認されるものであるという。

 

そんな「傲慢」『七つの大罪』のうちの1つとしても挙げられるものですね。

 

アスペ嫁(仮)は全くもってキリスト教徒ではないのですが、これに関しては

「宗教も、たまには良いこと言ってたりするのね」と思ったり思わなかったり。

 

 

 

 

 

お前が対象じゃないだけ

 

たとえば水だとか、米やパン、野菜に肉など「生命維持に不可欠なもの」

国民の平均所得と比較してべらぼうに高くて買えないというのであれば、

それは声を上げるべき緊急事態でしょう。

 

ですが、嗜好品である上に「贅沢なもの」に分類されるような高級チョコレートなどが値上がりしたとして、それを「俺(私)が食べたいから値下げしろ!」というのは

「アタマダイジョウブカナ案件」になってしまいます。

 

それと同じことで「この表現は自分の美学に反するので嫌い」と思うのであれば、

ただ単に「自分はこの表現者から『ターゲットではない』と思われている」に過ぎず

「わざわざお前ごときを怒らせるためだけに生きてねぇよ」というお話なのです。

 

生命維持に必要のない「他人の表現」という嗜好品を自ら望んで見に行って、

その上で「自分の好みになるように直せ」などとキーキー騒いでる人もまた

「自己評価が異様に高く、その上で無自覚」という、救いようのないアレですね。

 

 

 

 

このブログもまた

 

まとめますと、私がブログの中でキツい言葉遣いをしたり、

中途半端に文章をぶった切っているように見えたり、

そういう表現には全て「意味や何らかの意図がある」ということです。

 

その一つ一つを事細かに丁寧に説明する予定は今のところないので、

「わからない」というのであれば「わからないままで居てもろて」となり、

不快ならば「わざわざ見に来る必要など微塵もないし誰も頼んでいない」のです。

 

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この「馬鹿の山」の住人の「クソコメをするハードル」を上げるためです。

 

 

 

 

 

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