食パン単体ではそこまで魅力を感じないのに、

ときどき無性にハムトーストが食べたくなるアスペ嫁(仮)です、どうも。

 

このブログを書き終わったら買い物に行こうと思います。

 

今日は毒親育ちが陥りがちな「子供を諦めるべき論」についてのお話です。

 

※ブログ主が女性であることから、女性を想定した内容となっています

 

 

 

 

悪親ではなく毒親

 

「毒」とは、本来どういったものでしょうか。

 

生物界における毒とは、敵から身を守ったり生きる糧を得るためのものです。

 

つまり、そこに「相手を傷つけてやるんだ」という積極的加害の意思はありません。

 

毒親(毒になる親)もこれと同じで「明確な加害の意思」があるわけではなく、

「自分の親と同じように子育てをしたら、そうなってしまった」

「特に深く考えずに子育てをして、気づいたら毒親と呼ばれていた」

このパターンが非常に多いです。

 

また「加害の意思があるかどうか」「その育て方が正解か不正解か」という話は

全く別物ですので、混同せずに事実を見る必要があります。

 

 

 

 

 

自覚がないからこそ怖い

 

多くの毒親には「自分が毒親である自覚がない」と書きましたが、

自覚がないからこそ、恐怖でしかないわけです。

 

小さい子供が命の尊さを知らずに虫や小動物を笑顔で虐げ殺めるように

「これ以上はダメ」というリミッターが存在しないので、非常に残酷です。

 

 

 

 

 

「毒親持ち」という自覚があること

 

親が「子供を虐待する(してしまう)人間」である以上、

残念ながら「遺伝の要素」を排除することはできません。

 

しかし「生んだ親と育てた親が同じ」であれば、どこまでを「遺伝」とし

どこからを「環境要因」とするかの区別は、非常に曖昧です。

 

つまり「遺伝があるから(かも)」ではなく「自分の親は問題のある人物だった」

自覚することのみが重要「遺伝のせいで虐待するかも」と悩むのは無意味です。

 

 

 

 

 

「虐待するかも」の真実

 

「自分も虐待するかも」と思うのは、何故でしょうか。

 

自分が親から受けた仕打ち「虐待にあたるものである」と認識しており、

加えて「未熟で未完成な子供にそのような行為をしてはいけない」と考え、

言語化できないまでも「世代間連鎖」についても一定の理解があるからです。

 

 

 

 

 

「でも欲しくない」ならそれでヨシ

 

「子供を作るかどうか」はあくまでも個人の自由です。

 

なので「連鎖とかバカなこと言ってないで作れ」というつもりはありません。

 

そりゃ日本のシステムが「人口増加を前提として設計」されているので

「できることなら作ってほしい」が本音ではありますが。

 

ただ「虐待を受けた事実があること」「本当は欲しいのに我慢している」

という状態になっていないかを、今一度考えて欲しいのです。

 

 

 

 

 

「子供の人権」が重要なのは何故か

 

親というか、作る側の人間は、

「受精させるかどうか」→ 避妊の有無

「妊娠を継続するかどうか」→ 中絶の有無

「エラー判定を受けるかどうか」→ 出生前診断の有無

「出産をどのように行うか」→麻酔分娩(無痛分娩)の有無

「産んだ子を育てるかどうか」→(特別)養子縁組の有無

などなど、実に多くの選択の自由法律で保障されています。

 

一方で「親の身勝手で作られた側」は、多くの場合で虐待を虐待とは認識できず

被害を認識し訴え出ることが可能になった時期にはすでに「大人」とみなされ、

保護や支援の対象から外されてしまいます。

※近年は被虐児童について長期の支援が重要だと認識されつつあるが、それ以前の被害者は救われないまま放置

 

また「児童虐待で親を訴える」ことのハードルは異様に高く、仮に虐待が認定された

として、書類上ですら親との「つながり」を断つことは許されていません

※分籍後に転籍を繰り返し住民票の閲覧制限を掛けることは可能だが、法律上の親子関係を断絶することは不可能

 

このような特性があるために、未成年の人権は成人のそれや親権よりも厳重に

守られるべきものであるのですが、残念ながら、日本の子供は「親の所有物」です。

 

 

 

 

 

理解を求めるだけ時間の無駄

 

虐待を受けた事実だけでも辛いのに、さらに成人後には「親のせいにするな」だの

「頑張らないお前が悪い」だのと善意の第三者から理不尽に追い詰められます。

 

彼らは「児童虐待など存在しない世界」の住人なので、公正世界仮説に溺れ

「叩かれたのは態度が悪かったせい」「親の言うことを聞かないから」などと

「理由があれば少しの暴力くらい何だというのか」本気で思っています。

 

アレにいくら理解を求めようとしても、文字通り「異世界の人」なので

私達(元被虐児童)の訴えは信念に反する不快なノイズとして処理されるだけで、

ほんとうの意味で「届く」ことはありえません、諦めて速やかに離れましょう

 

仕事上の関係などで会話をせざるを得ないときは、脳内に赤べこを召喚して

「そうなんですねー」「すごいですねー」「さすがだなー」と適当に相槌を。

「自分が理解できないことは何でも否定しないと気がすまない」という低レベルな

モンスターにあなたの心を開示し「傷つける隙」を与える必要はありません。

 

 

 

 

 

子供が欲しいと思ったら

 

「自覚のない虐待親」にならないために、一にも二にも「勉強すること」です。

 

「自分がされて嫌だったこと」を振り返ることも重要ですが、それだけでは

「過保護・過干渉タイプに育てられた」「育児放棄タイプの毒親に」など

「種類が変わるだけで毒親には違いない」などの悲劇が充分にあり得ます。

 

 

 

 

 

そもそも「カンペキ」を求めない

 

これは二元論(白黒思考)に陥っている人が考えがちなことですが、

子育てはそもそも「成功」「失敗」の2択ではありません。

 

「Aはそこそこうまくやれた」しかし「Bについては死ぬまで後悔するだろう」

など、評価項目を挙げればきりがなく。

 

さらに、自分の価値観において「成功」「失敗」を決めることができても、

最終的な評価者「育てられた子供」なので、食い違うことも多いでしょう。

 

立場が違うのだから価値観も変わり、その評価は当然に違うものとなります。

 

存在しない「カンペキ」を求めることは無益無意味時間の無駄なので、

推し活でもして限りある時間を有意義に過ごしましょう。

 

 

 

 

 

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