昨日の消えた5000文字ショックが癒えません、アスペ嫁(仮)です。

ADHDの過集中を使って書くので、こまめに保存するとかはできません。

 

まぁウジウジしてても仕方ないので、そしてどうしても書きたい内容なので、

もう一度書いてみようと思います。

 

 

 

 

 

とある精神科医のツイート

 

私はTwitterで医師を自称する方々、いわゆる医クラさんをたくさんフォローさせて

もらっているのですが、その中でとある精神科医の先生がこんなツイートをされて

いました。

 

 

N◯Kのラジオで聞いた話

 

統合失調症の方が、病歴を隠して就職。

(以下Aさんとします)

 

周囲からは単純作業を勧められていた。

 

案の定、仕事量が増えるにつれて症状が再燃。

 

職場に「統合失調症である」とカミングアウトするも理解を得られず「怠けている」と責められた。

 

「理解のない職場で辛い」というが、これは自業自得では?

 

このエピソード、皆さんはどう思うでしょうか。

 

「ちゃんと障害者雇用なり単純作業なりで就職しなかったんだから自業自得」

と思いますか?

 

正直なところ、以前の私であれば、この先生と同じように

「そんなんお前が悪いだろ」で終わらせていたでしょう。

 

ただ「本当に自業自得なのか」「そもそも自業自得とは何だろう」と考えることで

見えてくることが多いので、このエピソードを掘り下げてみようと思います。

 

※元ツイートの方を批判非難、誹謗中傷する意図は一切ありません

※過剰な自己責任論、公正世界仮説、思考停止の怖さについて取り上げています

 

 

 

 

 

「勧められていた」とは

 

まず注意事項として、元がラジオへの投稿であり、それを聞いた方のツイート、

それを見た私の考察ということで、純粋な事実と多少食い違っている可能性

考慮した上で、ここから先へお進みください。

 

さて、ツイートによれば「単純作業を勧められていた」とのこと。

 

では「なぜ単純作業なのか」という点について、

このAさんは理解できていたのでしょうか。

 

「反対を振り切って」とあるので、おそらくAさんは

「罹患前の自分を何も知らないくせに」

「医師(等)に見くびられている」

といった不満があり、プライドが傷ついていたのではないでしょうか。

 

この点については私も似たような経験があるので、気持ちはわかります。

 

医師等の支援者側は「最初のステップ」という気持ちで勧めているわけです。

 

まず「簡単なことから」始めて、それを「クリアしたら次へ進む」という方法を

「階段思考」または「多段階思考」と呼びます。

 

ゴールが「復職すること」であるのなら「一足飛びに希望職種」に就く必要はなく、

まずは「決まった時間に仕事に行く習慣」をつけるところから始めて、

次に「意に沿わない作業でも続けられる力」を身に着けて、

最終ステップとして「希望の職種に復職」遠回りのようで近道です。

 

支援者側は、知識または経験則からこういったアドバイスを行っており、

そのこと自体はAさんのためを考えている、妥当なものです。

 

一方でAさんは「就職か無職か」という二元論に染まっていた可能性が高いです。

 

二元論とは「善と悪」「天と地」などの「対立する2つの要素のみ」全てを説明

しようとする考え方のことで、俗に「白黒思考」と呼ばれます。

 

二元論は非常に単純な思考であるので、脳(精神)に負担がかかりません

そのため、全ての人がともすればこの単純で楽な思考に陥りがちです。

 

この「なぜ単純作業なのか」「理解できていない」ということが問題なのです。

 

人は基本的に「理解できないこと」をしたがりません。

それが就職などという人生を左右することであったのなら尚更でしょう。

 

よって支援者側は「単純作業を勧める理由」について、二元論の話や何かに例えたり

するなどして丁寧に説明する必要がありました。

 

一方でAさんは「見くびられている気がする」「就職がゴールだと思っている」

という素直な気持ちでもいいから、支援者側にしっかりと伝える必要がありました。

 

この「医師なりが時間を掛けて丁寧に説明することができなかった」理由には

「再診で時間を掛けても保険点数に繋がらない」「カウンセリングの保険適用が

難しい」という日本の医療制度が抱える闇が関係しています。

 

ですので「滅私奉公で医師が説明するべきか」と言えば、その答えはNOです。

 

「短期間で成果が目に見えるものだけに金を出すよ」という大筋が間違いであり、

これは医療制度に限ったことではないのですが、政治の話は本筋から逸れますので、

ここでは「そういう事があるんだ」くらいの認識を持っていただければ。

 

 

 

 

 

「障害を理由とした差別」ではない

 

Aさんが無謀な復職をした理由のひとつに二元論があると説明しましたが、

では仮にオープン就労福祉的就労を利用していたら、上手く行ったのでしょうか。

 

障害者が就労する方法はいくつかあるのですが、今回はAさんが選択しなかった

「福祉的就労」を除外して「一般企業で就労する」場合の「オープン就労」

「クローズ就労」を説明します。

 

オープン就労とは「障害者であることをオープンにして就労すること」であり、

さらに「一般の求人に応募」「障害者専用の求人に応募」の2通りがあります。

 

クローズ就労とは「障害者であることを隠して一般の求人に応募」することで、

障害や手帳取得の有無などはプライバシーであるので、隠す権利があります。

 

精神・発達障害においては相当数の方がこの「クローズ就労」で働いており、

健常者だと思ってるその隣の方が、実は精神障害の2級だったなんてのも普通です。

 

今回Aさんはクローズ就労をしたわけですが、コレをわかりやすく例えてみましょう。

 

「体力を使う仕事」として男性を想定していたところに応募者が来て、雇った。

 

最初は普通に働いていたが、徐々に仕事の質が落ち始め、遅刻欠勤も増えた。

 

③その理由を聞くと「自分は実は女性なので疲れてしまった」とカミングアウト。

 

「体力仕事である」という募集を見て応募してきたんだからサボるな。

 

まぁこういう感じなのですが、ここで「ほら自業自得」と思いませんでしたか?

 

まず「男性を想定して」「女性禁止」ではないこと。

男女雇用機会均等法では「性別のみで仕事を制限するな」と決まっています。

 

しかしこの場合は「女性だがこの仕事がしたい」申し出るのがベストでした。

「男性として雇った」から「男性の仕事量」を求めているだけの話で、

「体力のある女性として雇った」のであれば「女性としての扱い」だったでしょう。

 

これは障害者でも同様「障害を隠すこと」自体は違法ではありません。

均等法のように明確な規定があるわけではないものの、合理的配慮や人権の観点から

「障害者であること」のみをもって職業選択の自由を制限することはできません

 

ただし「応募に際して採用基準に影響しうる情報を隠していた」のは事実で、

これは「障害」に限らず「前科前歴」「懲戒解雇の事実」に加え「学歴詐称」

同様で、この「隠していた」という事実のみで解雇されることはあり得ます

 

Aさんのケースで「聞かれなかったので自ら言わなかった」だけであるのか

「健康状態について聞かれたが嘘をついた(隠した)」のどちらであるのかは

わかりませんが、クローズ就労にはこういったリスクがつきものです。

 

この「情報の隠蔽による叱責や懲戒」「自分が障害者だから差別された」

捻じ曲げる主張は精神疾患による思考力低下や視野狭窄に陥った人で多く見られ、

それを「さも正しい主張」であるかのように取り上げるメディアも同罪です。

 

【参考】

LITALICOワークス - 福祉的就労とは?一般就労との違いや福祉的就労に関する相談先を解説

 

 

 

「理解のない職場」に飛び込むのはなぜか

 

一見、クローズ就労は障害者にとってデメリットしかないように見えます。

 

そして障害者雇用ではそういったトラブルが起きにくく、作業内容や勤務時間、

通院にまで十分な配慮がなされるのだから「障害者が働くための最適解」

と考える人は多いのではないでしょうか。

 

クローズ就労で「健常者として働く人を見抜くのは難しい」という話をしましたが、

Aさんを始めとした多くの障害者がリスクを負っててもその選択をする理由は単純で。

 

「障害者雇用では暮らせないから」です。

 

福祉的就労ではA型と呼ばれる「最も収入を得られる形態」ですら最低賃金ですし、

ことB型に至っては中高生のお小遣い程度しか収入を得られません。

 

ただでさえ「人として評価されること」を諦め「障害者同士の土俵で戦う」ことに

甘んじたというのに、さらに給料も充分ではなく、人間らしい暮らしも送れない。

 

私はこの「安い給料でこき使うことが許されている」ことこそが、

まごうことなき障害者差別であると感じています。

 

そして「福祉的就労では食べていけないから」と生活保護や障害年金を受け取れば、

事情など何も知らない知ろうともしない人から「ズルい」の大合唱が。

 

好きで障害者に生まれたわけじゃない。

望んで病気になったわけじゃない。

 

それなのに「普通に働けない」ということでプライドが傷つき、

ようやく受け入れて就労すれば低賃金で生活もままならず

不足分の福祉を受け取れば「お荷物」「ズルい」と言われ、

絶望から死を選べば「身勝手」だの「相談しろ」だのと。

 

こんな事を言う人達が「健常者」であり「正常」として扱われているのが、日本。

 

そもそも「健常者の99.9%は自称」であり、それが続く保証などないというのに。

 

冷静に客観視した時に、異常なモンスターはどちらなのかと、問いたいです。

 

 

 

 

 

公正世界仮説/自己責任論という宗教

 

「悪いことをするとバチが当たるよ」と言われたことのない人は居ないでしょう。

 

「善い行いには良い結果が」

「悪い行いには相応の罰が」

 

これを、公正世界仮説または公正世界誤謬といいます。

 

「自業自得」

「自己責任」

「因果応報」

「人を呪わば穴二つ」

「自分で蒔いた種」

 

などなど日本のことわざにもこの誤謬を表すものは多くあり、

古くから言語化・明文化されぬまま信仰されてきた宗教とも言えるものです。

 

実際には「いじめっ子に必ず罰が当たる」こともなければ、

「凶悪犯罪の犯人が100%逮捕され死刑になる」なんてこともありません。

 

ですが、それを認めると「いい人で居ることには何の意味もない」ということになり

「だったら自分の今の利益だけを考えて生きよう」として、世界秩序は崩壊します。

 

この「秩序を保つ」という点においても、まさに宗教そのものではないでしょうか。

 

問題は「自分の信念」であるはずのものを「他人に当てはめ押し付ける」ことです。

 

そうして犠牲者非難をすることで、人は無意識のうちに自分の心を守り、

現実を捻じ曲げて信念に沿う世界を作り出します。

 

あなたが「自己責任だ」と言うとき、細かい情報をどこまで調べたのでしょうか。

 

「自業自得だ」と責めるとき「自分には起こり得ない不幸だ」と思っていませんか。

 

公正世界信念は、拡大解釈さえしなければメリットもそれなりにあるものです。

 

だからこそ長い間信じられてきたし、これからも消滅することはないでしょう。

 

まずは、そういった認知バイアス/誤謬がある知ることから。

 

次に、誤謬に溺れ人を傷つけていなかったか、己を省みること。

 

過ちに気づいたら、その原因を特定し、繰り返さないこと。

 

「自己責任だ」「自業自得だ」と断罪すれば心に負担がかからず

それ以上の思考や原因追求をしなくて済み、とても楽なのです。

 

楽な方に逃げることで、得られるものは何でしょう?

 

問題解決から目を背けて、思考停止のぬるま湯につかるのは幸せですか?

 

【参考】

Wikipedia - 公正世界仮説

 

 

 

 

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