あの「電通事件」をちょっと思い出してほしい(2010-8-15/16投稿参照)。
http://ameblo.jp/aspatony/entry-10620374008.html
http://ameblo.jp/aspatony/entry-10621122168.html
そこでは:
会社側の「安全配慮義務違反」が重要な判断基準になったわけですが、
「あなた」は次のようなことをささやいたのではないだろうか:
「ちょっと疑問がある・・・」
「これは会社だけの過失なのか?」
「被害者側にも問題があったんじゃないの?」
例えば:
「家族は、本人の異常に気付いたはずだし・・・」
「・・・何かアドバイスできたんじゃないのか?」
「あるいは、本人の仕事のやり方とか性格などに問題はなかったのか?」
「自己責任はどうなんだろう?」
確かに、
「過失相殺」という考え方はある。それは:
『お互いの過失の程度によって、損害の負担を公平にあつかうこと』
を意味する。
ところが、
「電通事件」では、その「被害者側(本人及び家族)の過失」を認めて
いない。
企業側(管理者)の過失責任を100%としたのだ。
その損害賠償額は:1億6千8百万円。
「過労自殺」に対する司法判断は企業側にとってはかなり厳しいものが
ある、と言える。
それでは、「過失相殺」、あるいは「因果関係」の考え方は判断基準として
全く考慮されないのだろうか・・・
いや、そんなことはないはずだ・・・
それは次回で・・・
http://ameblo.jp/aspatony/entry-10620374008.html
http://ameblo.jp/aspatony/entry-10621122168.html
そこでは:
会社側の「安全配慮義務違反」が重要な判断基準になったわけですが、
「あなた」は次のようなことをささやいたのではないだろうか:
「ちょっと疑問がある・・・」
「これは会社だけの過失なのか?」
「被害者側にも問題があったんじゃないの?」
例えば:
「家族は、本人の異常に気付いたはずだし・・・」
「・・・何かアドバイスできたんじゃないのか?」
「あるいは、本人の仕事のやり方とか性格などに問題はなかったのか?」
「自己責任はどうなんだろう?」
確かに、
「過失相殺」という考え方はある。それは:
『お互いの過失の程度によって、損害の負担を公平にあつかうこと』
を意味する。
ところが、
「電通事件」では、その「被害者側(本人及び家族)の過失」を認めて
いない。
企業側(管理者)の過失責任を100%としたのだ。
その損害賠償額は:1億6千8百万円。
「過労自殺」に対する司法判断は企業側にとってはかなり厳しいものが
ある、と言える。
それでは、「過失相殺」、あるいは「因果関係」の考え方は判断基準として
全く考慮されないのだろうか・・・
いや、そんなことはないはずだ・・・
それは次回で・・・