先日、入院前の状況について家族と話す機会がありました。
そこで知った事実は、私の記憶とは異なるものでした。
どう異なったかというと…
【入院前の容態】
●私の視点
しんどい、つらい、寝ていたい。
それでも食欲は普通以上ってすごいな。
もりもり食べてるじゃん。
手元にあった公的手続きも自分でできたしね。
●家族の視点
滅多に風邪を引かない人間が、急に高熱を出して、ご飯を全然食べない。
用意した食事に、少ししか手を着けない。
公的手続きを代行しようと役所へ電話したら、
「どんな病気でも、電話くらいかけられらだろう」と言われたから、本人にやらせたけど。
【大学病院へ行くとき】
●私の視点
しんどい、つらい、寝ていたい。
でも家族が大学病院へ行けと言っている。
車を出してくれるって言うし、なら行こうかな。
●家族の視点
事前に大学病院の相談窓口に電話をする。
容態を話すと、「それはおかしい。すぐに連れてきなさい」と言われた。
紹介状が無くてもいいと言うから、急いで連れて行こう。
【大学病院での診察】
●私の視点
具合悪いけど、医師とのやりとりもしっかりできた~。
●家族の視点
あの子、医師にタメ口きいてるけど、大丈夫かしら…。
【入院決定】
●私の視点
原因も期間も不明だけど、とりあえず入院しろって言われた。
別にいいけど、入院するけど、なんだかなぁ。
●家族の視点
医師から説明を受ける。
「感染症にかかっているのは間違いない。ただし、それ以外にも何かある」
と言われた。
という感じです。
振り返ると、私って脳天気…!
体調の変異は認識していたけれど、
長期の高熱により、理性も思考も壊れていたようです。
きっと動物的本能が、
「動くと死ぬから、じっとさせよう。万事大丈夫と思わせておこう」
という命令を出していたのでしょう。
そして、家族には本当に心配をかけたのだなと思いました。
ごめんなさい。
そして、ありがとう。
医師は、入院の段階で何かを察していたのですね。
だから、緊急入院だったのですね。
そして、患者本人を精神的に追い込まないよう配慮して、
病状には触れずにいてくれたのですね。
そんな状況に私は甘えて、
タメ口で話し、
腹減った~、お風呂入りた~い、
と訴えていたのですね。
・・・・恥ずかしぃ
個人差があると思いますが、
容体が明らかにおかしい時、
死の恐怖に面と向かわないといけない時、
「生きるために本能が理性をコントロールする」ことってあると思うんです。
私は、入院前も、入院中も、手術前も、
思い悩む日はあったけれど、
「きっと大丈夫」と思えたのは、
恐怖のどん底に落ち込まなかったのは、
本能が自分自身を守るために、
現実から目をそらさせてくれたからではないかと思っています。
だって当時は、それなりに恐怖を感じていたけれど、
根拠もなく「なんとかなる」「死なないもん」と思ってたんですよね、私。
振り返ると、今の方が恐怖を感じますもの。
「あのときは、ヤバかった」って。
「ベッドで安静にしてろよ、なんで動き回るんだよ、おまえ」って。
反対に、家族は理性も思考も通常運用なので、
現実をしっかり理解でき、深い恐怖に襲われていたのではないでしょうか。
誰かの容体が明らかにおかしいを気づいたら、
それが身体的なものでも、精神的なものでも、
無理矢理にでも休養を取らせ、病院へ連れて行った方がよいかもしれません。
周囲の人は、気をつけてあげてください。
本人は、自分がどこまで落ちてしまっているか実際には分かっていないから。
本人は、どうしたらいいのか分かっていても、
自力では現状から脱出できないことがあるから。
周囲の助けが必要です。