翼宿 翼火蛇
教えてられたことに
疑問を持たないのは
危険なことである。
学校で教わることの
半分以上が社会では
基本的に使われません。
それじゃ学校はなんのために
勉強させてたのか?
最も体感してほしいのは
組織の中の交流なのではないか、
と最近考えましたね。
社会に出ての処世術を学ぶのが
裏の科目だったのではないでしょうか?
その基礎となるのは
やはりまずは友人を
作ることから始まります。
周りの動きを見て、何をしていいのか、
悪いのかというルールの境界線を
知ることであります。
科目はその人によって
何が向き不向きなのかを知るには
ちょうどいいシステムであり、
個性となってくわけです。
もちろんテストの点数や成績といった
ノルマもあるから
真剣に取り組むということも
鍛えあげられますでしょう。
しかしどうしても中には
組織の決まりごとに
馴染めない人というのが
出てきてしまうのは必然ですね。
それが此方であるわけですが。
でも今思い返しても
後悔は全くもってないです。
当時から何故言わたことを
しなければいけないのかが分からず、
そんな考えでは当然ながら
習ったことが頭に入るはずもありません。
逆に周りの人が
素直に言うこと聞いてたのが
凄いな、と思ってました。
何せ此方もたまにはしっかりやろうと
思ってもちっとも頭に入ってこない
わけですから。(笑)
なのでずいぶんと先生方には
お手をかけてしまったと思います。
あえて後悔を挙げるならばこの辺か・・・。
数百名の集団が属してる「学校」には
此方のように疑問を持つ人というのも
珍しくはないと思われます。
もちろんそうなってくると
生きにくいのも事実です。
しかし逆に考えてみて
集団に溶け込み過ぎてしまう人間も
どうかと思うところがあります。
教えられることに
疑問を持たなければ、
何故苦しいのか
分からなくなるからです。
何せ苦しみの全ては
自分の生きざまに反映
されるからです。
それはつまるところ分析する
土台すら気付けないことなのです。
ある意味では異様の一つかもしれませんね。