12月17日(土)から19日(月)の2泊3日で長崎に行きました
全国旅行支援キャンペーンで安く泊まれるので、9月に軍艦島上陸出来なかったリベンジです!!
ただ天気予報は17日が雨、18日は雪で、軍艦島ツアーは18日の午前便で予約してしまってます
前回同様上陸不可で周遊コースになりそうな悪い予感が…。
一度予約すると周遊コースに切り替わってもキャンセル不可なので、運に任せて出発。
朝7時10分発の飛行機で8時半位に長崎空港に着きました。
しとしと雨で寒ーい
先ずは思案橋へ
思案橋は丸山遊廓があった場所で、今も飲食店が多い繁華街です。
歴史的な建物も残っていて興味があり、前回9月の最終日に行く予定だったのが、peachの欠便で朝一出発になってしまい行けなかったので楽しみにしてました
路面電車で思案橋到着
かっこいいお店発見!
創業1624年(寛永元年)徳川家光の時代から続く福砂屋の本店、老舗の貫禄と品のある店構え
↓素敵すぎるレトロな交番
↓案内板に載っている江戸時代の風景画を見ると、この交番辺りは丸山廓への入口の二重門があった辺りの様です
丸山遊廓は京都の島原、江戸の吉原、大坂の新町に続く花街として賑わい、外国人も相手にする唯一の遊廓だったらしいです
丸山公園には坂本龍馬!
私はいまだに坂本龍馬といえば竜馬伝の福山雅治演じるイケメン竜馬が思い浮かびます
唯一ちゃんと観たNHK大河ドラマです♪
長崎といえば猫ちゃんもよく見かけますね
丸山公園のすぐ近くに長崎検番があります
築100年を超える建物で、何と現役です
提灯には芸妓衆の名前が書いています
検番のすぐ近くには「史跡料亭 花月」が
花月は江戸時代の太夫屋「引田屋」の楼号で、引田屋本家が花月楼、新引田屋が鶴寿亭、新引田店が養心楼と呼ばれたらしいです
引田屋は丸山遊廓の開設当初から明治5年の芸娼妓解放令に至るまで続いた唯一のお店との事。
引田屋本家の建物と庭園を受け継いだ歴史ある料亭
2階の大広間の床柱には坂本龍馬がつけた刀傷が残っているとか
他にも勝海舟が利用していた月の間、
日本庭園の池は、岩崎彌太郎が酔って落ちたと本人の日記にも書かれているなどなど凄いエピソードがいっぱいです
お食事をすると引田屋ゆかりの資料を展示している「集古館」を見学出来るらしいです
中に入りたいけど敷居はかなり高いですね
私が行った時は朝の営業時間前だったので入口から少し覗いて写真を撮らせてもらいました。
お客様以外は中まで入れないので入口から見える範囲だけ
凄く立派!かっこい〜
花月の次は身代わり天満宮へ向かいました
愛ハさんの説明板もありました
無人の小さな素敵な神社でした
御稲荷様も居られます
身代り天満宮は、遊女達がよく参拝していた場所で、梅干の種を納めていた梅塚もありました
捨てるのは縁起が悪かったらしい
↓「角の煙草屋」という変わった名前の遊廓にあった灯籠もありました
次は「中の茶屋」へ向かいます
↓中の茶屋は、遊廓「筑後屋」が江戸時代中期に茶屋を設けていたところ。
花月楼と共に人気が高くて幕末期にできた民謡「長崎ぶらぶら節」には、遊びに行くなら花月か中の茶屋と読まれているらしいです
中の茶屋の庭園は、江戸時代中期に築かれた庭園としては市内寺院のものを除けば数少ない遺跡のひとつとの事です。
建物は残念ながら1971年に隣家の火災で全焼してしまい、庭園だけとなったけど1976年に建物部分を旧態に近い形で新築復元して今の姿となったらしいです
↓筑後屋の遊女「冨菊」が奉納した手
室内は撮影禁止なので入口だけ↓
室内はかっぱの絵で有名な長崎出身の清水崑さんの展示館となってます。
レトロでかわいい絵でした
中の茶屋を出てぶらぶら
料亭青柳↓開店前なので確かめてはないけど、こちらで身代わり天満宮の御朱印を頂けるみたいです
いい感じのお店が廃墟になってました↓
↓「ほんとうのオランダ坂」
女性立入禁止だった出島ですが、遊女は立入を許可されており、この坂は外国人居留区の出島に行く通り道だったらしいです
当時の一般人は外国人は全てオランダ人と言ってたみたいです
そしてランチは九州で1番古い大正14年創業の喫茶店の「ツル茶ん」へ行きました
トルコライスを初めて食べました
凄いボリューム!
長崎でよく見る「食べるミルクセーキ」はこちらのお店が元祖との事なのでハーフサイズを注文。
シャーベットみたいで美味しかったです
ハーフサイズでも結構多くて満足でした
思案橋は以上です
次は寺町に移動したのでまた次回に続きます。
それでは