先週末、私は東京、丸の内にいました。6年ぶりの東京。すっかりお登りさんの私は、30数年前に大学受験のため東京駅に舞い降りたときのことを懐かしみました。今年10月に復原された東京駅舎は立派なものでしたが、私にはそれを背にして広がる丸の内界隈の風景の様変わりが印象的でした。



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-新丸ビル

特に新丸の内ビルディングは圧巻でした。高々と聳える現代建築の下部には旧新丸ビルの様相を残した意匠。そのコンセプトデザインを担当したのは、ロンドンで活躍する世界的な建築家、マイケル・ホプキンス卿だとか。


東京駅の表通りと日比谷通りの間の通りを歩きましたが、土曜日ということもあって閑散としたビル街は実にいい佇まいでした。東京国際フォーラムビルのデザインにも感心しました。そして、そんなオフィス街を一歩抜けると、雑多な店が立ち並ぶ有楽町の裏通り。このギャップがたまりませんね。


ちなみに、「丸の内」とは、「日本城郭の内部。または本丸 の内部」の意味だとか。内堀と外堀の間に挟まれた「江戸城の三の『丸の内』側」という由来なんですね。この丸の内、江戸から明治になり次のような経緯を辿ります。


明治維新 後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになった。陸軍兵営が移転した後の1890 三菱 2代目当主・岩崎弥之助 150万円で払い下げられた。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、三菱ヶ原と呼ばれた。


1894 に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館 が竣工、これを皮切りにロンドン ロンバード街 に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになった。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ 各社の本社や三菱地所 所有のオフィスビルが集中する。(ウィキペディア)


丸の内1丁目11号の地番に陣取るのはレスホテル東京。その大株主は、やはり㈱三菱東京UFJ銀行。まさに三菱村ですが、丸の内1丁目12号に本店を構えるのが三井住友銀行で、ここに旧財閥の面目躍如を感じます。この「一丁目一番地」は「最初に実施すべき最重要な事柄、最優先課題」の喩えとして使われますね。


以前、この丸の内の固定資産税が、岩崎弥之助が払い下げられた150万円の簿価が基準になっているというような話を聞きましたが、今はどうなっているのでしょうか?地価は毎年国が定める固定資産評価基準に基づき固定資産を評価するはずなのになぜかな、と疑問を持ったものでした。


まぁ、とにかく、変貌を遂げ続ける東京という都市は凄いところですね。








一丁倫敦と丸の内スタイル―三菱一号館からはじまる丸の内の歴史と文化/岡本 哲史

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