このゴールデンウィークにハワイへ旅立った方も少なくないと思います。私は28年前に一度行ったきりですが、日本人観光客とその観光客目当てのショップが多く、日本語が通用しすぎてちょっとがっかりしたことを覚えています。


今日は、そのハワイと日本の関係について、今日読んだばかりの「日本はどれほどいい国か」という、私が敬愛する日下公人さんと今回初めて知ったジャーナリストの高山正之さんの共著から引用したいと思います。明治時代の日本人の気骨さを教えてくれます。まずは、ハワイの歴史の一遍から。


ハワイに日系の方々が多いのは、「急増するサトウキビ畑 や製糖工場で働く労働者を確保するため、1830年頃より始められ、関税が撤廃された1876年以降にその数が増え始めた」とされていて、1885 (明治18年)1月、日布移民条約 が結ばれ、ハワイへの移民が公式に許可されるようになった。政府の斡旋した移民は官約移民と呼ばれ、1894年に民間に委託されるまで、約29,000人がハワイへ渡った」(ウィキペデァ)からだそうです。(*ハワイは漢字で「布哇」)



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-カラカウア王

ハワイはもともと1795 から1893 までハワイ諸島 に存在した立派な独立したハワイ王国 でした。しかし日本人移民とともに、「アメリカ合衆国からの入植者が増え、サトウキビ 栽培や輸出などによって経済的にも力をつけはじめると、より親米 的な政治を求める声が特に経済界から強くなった。



1887 クーデター が起こり、カラカウアは修正憲法(銃剣憲法)の成立を承認せざるを得なくなったが、この修正憲法によって国王の権限は制限され、ハワイ王国は対米従属 を余儀なくされた。ハワイ王国の滅亡はこれに始まる」(同上)というのが史実。


このときのハワイと日本の関係について、日下さんと高山さんは次のように語っています。






アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-巡洋艦「浪速」(1887)

日下:ハワイ王朝が倒れて約一ヶ月後の223日に巡洋艦「浪速」、さらに5日遅れてコルベット艦「金剛」がホノルル港に入り、米軍艦「ボストン」のすぐ隣に投錨した。「浪速」の艦長は、大佐時代の東郷平八郎です。


高山:しかも同じ艦上に若い海軍青年将校がいて、なんと先代国王カラカウアに(カイウラニ)王女との結婚を求められた山階宮(やましなのみや)親王だった。カラカウア王との約束で明治18年から始まった日本人のハワイ移民はこの年までに25000人を数えていました。


その日本人の移民の「生命と財産の安全を守るため」というのが日本の軍艦派遣の表向きの理由でしたが、存亡の危機に見舞われたハワイ王朝からの緊急要請があったとも言われている。その根拠はカラカウア王が訪日の際に約束した不平等条約改定を認める文書が17日付で届けられたことです。



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-カイウラニ王女

この日付はまさに女王が退位を宣言した日であり、女王は最後の公務にこの治外法権放棄の文書署名を選んだことになる。日本政府はこれを梃子に列強との不平等条約を次々解消していきました。ハワイ王国への感謝の気持ちは計り知れないものがあったろうと想像します。


日下:入港した「浪速」は臨時政府に対して冷淡で、寄港の挨拶も行わなかった。東郷平八郎が受けていた命令は在留邦人の保護だから、直接的な軍事行動は起こしませんでしたが、ここであえて「歴史のif」を言えば、ハワイ先住民、日本人移民を糾合してハオール(白人)たちを制圧し、一時的にでも日本が後押しし女王を復権させることは可能だった。


高山:「浪速」は約三ヶ月間、ハワイにとどまり、クリーブランド(22代および24アメリカ合衆国大統領 )が約束した政府調査会団が派遣されるのを待って一旦帰国。翌年再びホノルルに戻っています。ハワイ臨時政府は“建国一周年”を祝う21発の礼砲を「浪速」に要請しますが、東郷艦長は「その理由を認めず」と突っぱねた。


ホノルル港の各国軍艦はこれにならい、1894年の117日のクーデター一周年は「ハワイ王朝の喪に服すような静寂の一日に終わった」とハワイ王国の最期をテーマにした米国のノンフィクション『盗まれた王朝』(ジョン・ワイリー著)は書いています。



アラフィーオヤジの起業・夢追いセレナーデ-東郷平八郎

ハワイの独立をめざす「ネーション・オブ・ハワイ」という団体を率いるデニス・カネヘレ、通称バンビーに会ったのはもう十年前になりますが、バンビーによると、日本の軍艦が味方してくれた話は祖父の時代から知らされていたそうです。


それが東郷艦長の浪速だったことまでは知らなかったけれど、「ハワイ人にはなぜか『トーゴー』や『ナニワ』という名前が多い」という。しかもバンビーの育った街では「ナニワは“ありがとう”の意味」の現地語として使われたという。アジアの小国の態度が共感を呼んだことのなによりの証左だろう。


イオラニ宮殿の乗っ取り事件 (森出じゅんのハワイ雑学大好き!)

http://blog.tabista.jp/zatsugaku/2008/08/post_198.html



ちなみにカラカウア王1881年史上初めて日本を訪れた外国の国家元首なんだそうです。今度ハワイに行く機会があったら、先住民の方に「ナニワ」と語りかけてみたいですね。





日本はどれほどいい国か/日下 公人

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