先週の「賢者の選択」でゲスト出演していたボーズ株式会社社長 佐倉住嘉さん。佐倉さんは、現職に至るまでに16社ほどの会社を起こされているようです。その佐倉さんは起業は飛行機を飛ばすようなもの。飛んでしまえばそう難しくはないが、滑走路を整備しなければ始まらないといいます。経営にとって滑走路というのは資金を指します。その佐倉さんが起業家へのアドバイスとしあげるの次ぎの三点。
① マーケットへの進出は新業態であるか、既存分野であれば新機軸があること
② 資金はあらかじめ確保しておくこと
③ 運が大事。だが、運は人との繋がりで引き寄せることが可能である。
「音響の専門家ではない。どことなく日本人には馴染みにくかったBOSEの商品を類似商品が横行するまでに売りまくった商人、佐倉住嘉は物を売ることを楽しんでいる」として紹介する日本音響家協会のHPの「商人道からみた音響の世界」という記事で、現同会長の八板賢二郎さんが1986年に佐倉さんにインタビューしていますが、20年前の当時も今とぶれていないその信念がうかがえます。インタビュー記事につけられた見出しを拾うと次のようになります。
・先頭をきるギャンブル性の中に商売の面白みがある
・既成概念にとらわれないところに可能性がある
・ぎりぎりまで追い込まれたとき商売の道も開けてくる
・商売は成長していくと最初売れなかったものも売れるようになる
・自分ではよくわからないから現場の意見は貴重な情報として大切にする
・よい商品とのめぐりあいは運でもあるが、運は50%自分でコントロールできる
ちなみにボーズ社の社長であるアマー・G・ボーズ博士の父親は、米国に移民してきたインド人であったといいます。インド の急進的独立運動家、自由インド仮政府 国家主席兼インド国民軍 最高司令官のベンガル 人でネタージ(指導者)の敬称で呼ばれるスバス・チャンドラ・ボース(1897年 1月23日 -1945年 8月18日 )の縁戚にあたるようです。
アマー・G・ボーズ(1929年 -)は、「米国の音響機器メーカーBOSE の創業者。現在は同社の会長。母校MIT (マサチューセッツ工科大学)の名誉教授でもある。少年時代からヴァイオリンを演奏する。彼がボーズ社を立ち上げたきっかけは、大学院卒業間近に購入したオーディオから奏でられたヴァイオリンの音が、慣れ親しんだ音とあまりに違い、ショックを受けたからと言われる」。(ウィキペディア)
佐倉住嘉さん
昭和11年9月1日
昭和34年3月-東京外国語大学入学(スペイン語科)卒業
昭和34年4月-東和通商株式会社(中南米向け雑貨及びプラントの輸出商社)入社、以下数々の会社を設立。
昭和53年8月-米国法人ボーズアジアリミテッドの代表取締役に就任
(ボーズ製品の日本への輸入販売会社)
昭和59年5月-ボーズ株式会社に改組代表取締役に就任
平成3年2月-米国ボーズコーポレーション副社長に就任