「チキンラーメン」が発売されたのが、1958年の今日です。私が生まれるほぼ一ヶ月前にあたります。そういった意味では戦友のような関係です。「チキンラーメン」の画期性は、世界初のインスタントラーメンということですね。社団法人 日本即席食品工業協会 の統計によれば、2005年 度に全世界で消費された量は約857億食(カップ麺を含む)で、うち日本の消費分は54億食なんだそうです。
今では「チキンラーメン」よりは「カップヌードル」の方がはるかに消費量は多いのでしょうが、その1971年9月18日に発売された「カップヌードル」もブレークしたのは1972年
、世間を驚かせたあさま山荘事件
のテレビジョン
中継放送で、厳寒の中、湯気の上がるカップヌードルを食べる機動隊
隊員の姿が映され、視聴者は何を食べているのか興味を持った。これが事実上の宣伝となって、爆発的な売れ行きを示したのでした。なんと「カップヌードル」の発売日が私の誕生日なのです。
しかしながら、即席めんというカテゴリーでいくと、その歴史はやはり中国にその原点があるようです。
「そもそもの興りは中国 ・清代 (1644年 ~1911年 )の頃に遡る。『伊府麺 』(Yifu noodles)という小麦粉 と鶏卵 で太めの麺を打ち、一度ゆでてから、油 で揚げるという製法で、ある程度の保存性があり、でん粉 がα化した麺がつくられていた。食べる時には茹でなければならず、別途スープ も用意せねばならないが、フライ麺という製法で作り置きができ、いつでも手早く食べられるものという点ではこの伊府麺はインスタントラーメンと同じ発想の食品とみることができる。香港 や台湾 で今も一般的に食べられているが、台湾では『意麺』と呼び、タウナギ を具にしたものや鍋焼きにしたものは台南 の名物となっている」。(ウィキペディア)
「チキンラーメン」のもうひとつの画期性は、この「伊府麺」を商業ベースに乗せた技術力なのです。その開発者が、台湾出身の日清食品㈱創業者の安藤百福さんでした。日清食品のHPから創業者理念の頁に次の三つの安藤さんの造語がありました。食品業界の方々は、もって瞑すべしです。
食足世平(しょくそくせへい)
食は人間にとって何より大切なものです。食がなければ、私たちは自らの生命を維持するができません。芸術、文化、思想…すべては食が足りてこそ語れるものです。戦後、寒風の中、一杯のラーメンを求めてラーメン屋の屋台にできた長蛇の列。この光景こそ「チキンラーメン」を開発する原風景になりました。「食が足りてこそ世の中が平和になる」日清食品の事業は人間の根源から出発しています。
美健賢食(びけんけんしょく)
空腹を満たすことと、味覚を満足させること。 食に求められているのは、それだけではないと考えています。医食同源という言葉にあるように、美しい体をつくり、健康を維持することも 食のもつ大きな機能です。「美しく健康な体は賢い食生活から」いつまでも健康であり続けるための機能性に富んだ食品開発も、また日清食品が取り組む重要な課題です。
食創為世(しょくそういせい)
企業にとって最も大切なものは、創造的精神であると考えます。独自の製品を生み、世の中に新しい文化を創り出すことこそが、 企業の究極の目標です。単なるモノであることを超えひとつの文化として受け入れられる商品を生み出すことは、利益だけを求める姿勢からは 生まれません。「食をつくり世のためにつくす」日清食品は、あらゆることに高い感性を持ちながら、地球社会に貢献する食品創造を目指します。
安藤百福(ももふく、1910年
3月5日
-2007年
1月5日
)は「日本
の実業家
。商業
ベースで成功したインスタントラーメン
の開発者。日清食品
(株
)創業者。台湾
出身(旧名:呉百福)。のちに台湾人から日本人に帰化。1948年に(株)中交総社(後の日清食品)を設立」。
「日清食品の代表取締役社長、代表取締役会長、創業者会長を歴任。(社
)日本即席食品工業協会会長、(財
)安藤スポーツ・食文化振興財団理事長、(財)漢方医薬研究振興財団会長、世界ラーメン協会会長、(財)いけだ市民文化振興財団会長などを務めた。1934年
、立命館大学
専門部経済科修了。1996年
、立命館大学名誉博士
。池田市
名誉市民
」。