「多くの分野にわたってなかなかの才能の持ち主なのに、それらはいずれも個別に発揮され、全体として何か一つの成果に結実していかない人がいる。一昔前にはマルチ人間と呼ばれただぐいだが、言い換えれば、人間としてはいっこうに成長しないタイプでもある。人間は一つ一つ成し遂げていくことを通じて成長する生き物なのだから」。

「というわけでマルチ型に属する人々は、心の奥深くに常に不安を隠し持っている。自分は何もし遂げていない、という不安だ。この不安は、何かを行う場合には度を越すことにつながりやすい。皇帝ネロも、この種の一人ではなかったかと思っている。一私人としてみれば、不幸な男だ」。

これは皇帝ネロについて描く「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち(四)」の冒頭に書かれている歯に衣着せぬ塩野七生さんの辛辣な意見ですが、そうは言いつつ世評どおりの「暴君」とは違う面をいくつも描いて見せてくれています。上文は一介の市井の私にさえ耳の痛い指摘でもあります。

本書で印象的だったのは、自分の殺害を事前に知ったネロが、実行犯の一人と目されていた近衛軍団の大隊長フラウスになぜ自分に剣を向ける気になったのか尋問します。フラウスは次ぎのように応えます。

「あなたを、憎悪していたからです、とはいえ、あなたが皇帝にふさわしく敬意を払われるに値する人であった頃は、わたしほどあなたに忠実な部下はいなかったでしょう。しかし、あなたが(ネロ自身の)母を殺し妻を殺し、競技会に夢中になり、歌手家業に熱中し、放火まで犯すようになってからは、あなたへの感情は憎悪しかなくなったのです」。

殺害はしないにせよ、こうした経営者を時折、お見かけすることがあります。自戒も込めます。

塩野さんの著書ではいつもいくつかの箴言があります。本書では次の三つに納得させられました。

「戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は、武器を使わないでやる戦争である」

「有能なリーダーとは、人間と労苦と時間の節約に長じている人のことではないかと思いはじめている」

「歴史に親しむ日々を送っていて痛感するのは、勝者と敗者を決めるのはその人自体の資質の優劣ではなく、もっている資質をその人がいかに活用したかにかかっているという一時である」。




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紀元54年、皇帝クラウディウスは妻アグリッピーナの野望の犠牲となり死亡。養子ネロがわずか16歳で皇帝となる。後に『国家の敵』と断罪される、ローマ帝国史上最も悪名高き皇帝の誕生だった。若く利発なネロを、当初は庶民のみならず元老院さえも歓迎するが、失政を重ねたネロは自滅への道を歩む。そしてアウグストゥスが創始した『ユリウス・クラウディウス朝」も終焉の時を迎える……』。(新潮社HP)