心のままに動く


2回目の燈詠祭りで

平将門と鬼門を調べていた

今回


妙見信仰と平将門を追う


北斗七星の化身とされる妙見菩薩は

北極星としての信仰もあり

不動の星であることから

宇宙の中心として       信仰されてきた


五穀豊穣・天下泰平・一族繁栄・病気平癒・

息災延命・商売繁盛・交通安全・学業成就・

縁結びなどの願いを叶えると言われる




平将門と北斗七星

東京23区内にある 平将門ゆかりの寺社の配置が
北斗七星ラインを構成しており
天海による呪的魔方陣ではないかと指摘されている

将門縁の神社を 指定通り全て廻ると
ご利益があるという都市伝説も残る


北斗七星巡り



1 鳥越神社
主祭神は   日本武尊    天児屋根命

孝徳天皇白雉二年(651年)創立と伝えられ、白鳥明神の那は、八幡太郎義家公奥州征伐の折、白い鳥に浅瀬を教えられ、軍勢をやすやすと渡すことができたとき、鳥越大明神の御社号を奉られたいわれる。 御鎮座1350年の古社。



2  兜神社
主祭神は  宇迦之御魂神   大国主命  

源義家が前九年の役、東征の際に

この神社の「兜石」に戦勝を祈願したことに始まる

その後、藤原秀郷が将門の首を運ぶ途中

この地に将門の兜を落としたため

兜を埋めて塚を築いたとされる



3  平将門の首塚


平安時代に朝廷に反逆し 下総の地で討死した

平将門の首が、京都でさらされたが怨念で京から首が
この地に飛んできて、その首を祀ったともいわれる



4 神田明神

主祭神は   大己貴命    少彦名命   平将門命



天平二年の創建と伝えられ、今の大手町にあった

平将門公の首塚が百歩の地にあり、延慶二年に将門公の霊を相殿に祀り、神田明神と名付けられる

元和二年現在地へ遷座し、江戸城の艮鬼門の守護神として歴代将軍の尊崇厚く江戸総鎮守となる



5 筑土八幡神社

主祭神は   應神天皇   神功皇后   仲哀天皇



嵯峨天皇の御代に創建と伝えられる古い社で

伝教大師が神像を彫刻して祠に祀る時に

筑紫の宇佐神宮の宮土をもとめて礎としたので

筑土八幡宮と呼ばれるようになった

牛込東部の産土神である



6 水稲荷神社 

主祭神は  倉稲魂大神   佐田彦大神   大宮姫大神



天慶四年俵藤太秀郷朝臣が

旧社地の富塚の上に稲荷大神を勧請した

古くは「富塚稲荷」「将軍稲荷」といわれた

江戸中期境内の大椋に霊水が湧き評判を呼んだことが

神社名の由来の一つであるという



7 鎧神社

主祭神は  日本武命   大己貴命   少彦名命   平将門公



当社の創建は、醍醐天皇の時代 

薬師如来像がこの地に祀られ円照寺が創建、その寺の鬼門鎮護のため当社が創建されたと伝えられています。 

また創建以前からの伝説

 日本武命が天皇の命によって東国の平定に向かったとき

当地に甲冑六具を蔵めた

 また一説によると、将門公の神霊の崇りであると恐れ

将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔った

 これらのことから、「鎧」の社名が起こったと伝えられる




となれば無事に終了だった キョロキョロ


何故だろう あせる



8 穴八幡神社
主祭神は  應神天皇   仲哀天皇  神功皇后


1062年 源義家が奥州からの凱旋の途中

この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったことに始まる

1636年に的場が造られ、この八幡宮を守護神とし同18年1641年に、別当の放生寺を建立するため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の阿弥陀如来像が現れたことから「穴八幡宮」と称する



7社 1社=8社


照れ 良く頑張った!!


北斗八星になってしまったけど あせる


きっとこれで良かったのだと ラブ
信じる

東京の地を結び  守られて来た
平将門公  縁の場所に
八幡神社が結び付いた


八幡神は応神天皇
そして、八幡大神と呼ばれていたのは
スサノオ 
八 は出雲 (スサノオ) の数字
幡は倭国統一に際して用いた旗・幟で
スサノオを表す

これは何を意味するのでしょうはてなマーク

慌ただしく参拝したが
どちらでも気持ちの良く
迎えて貰えた  ラブラブ


今度は焦らずに 再度参拝したい


有り難うございました お願い



  燈詠祭り  東京会場は


徳川縁のお寺で

般若心経の写経をします


心を整え松明巡りに望み  照れ

                    ライブで盛り上りましょう  


ご参加をお待ちしておりますキラキラ




その後にも

沢山の会場で皆様をお待ちしています


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