徳川慶喜公について😊
                   (ほんの一部です)

1867年(慶応3年)、明治天皇に政権返上を奏上して勅許された徳川慶喜は、翌年寛永寺で謹慎した後、水戸についで駿府で謹慎生活を送る。 

1897年(明治30年)、東京の巣鴨に移り住み、皇居となった旧江戸城に参内して明治天皇に謁見。 

1901年(明治34年)、小日向第六天町に転居。 翌年には公爵に叙せられ、徳川宗家とは別に徳川慶喜家を興し、貴族院議員に就いた。
 
1908年(明治41年)、大政奉還の功により、明治天皇から勲一等旭日大綬章を授与。

1913年(大正2年)11月22日、小日向第六天町の地で死去  享年77歳
お墓は谷中墓地内の寛永寺墓地にあり、芝増上寺や寛永寺の徳川霊廟に葬られなかったのは、明治天皇に敬意を込めて神道での埋葬を希望したためだといわれています。

キラキラ キラキラ キラキラ

現在の巣鴨の跡地は おじいちゃん年寄りの原宿おばあちゃんとなり今もいぎわっていました
そして小日向の跡地は「仏教大学大学院」が建てられびっくり
入学定員5名(総定員20名)の5年一貫制の博士課程のみを設置しており、日本で一番小さい大学でもある。( 日本中に散らばる古写経の調査なども実施している。 )




260年近くも存続した江戸幕府が終わり 



「鎌倉幕府」から約700年もの間続いた「武家政権」が終焉する


近代社会の礎を築いた慶喜公の人生は   
明と暗   太陰太極図を想い描かされる…

善き時代を送らせて頂いています飛び出すハート
有り難うございます  お願い