新緑の美しい雨上がりの週末、春のおさんぽかいをしました。


今回参加メンバーは5人。

そのうち戸外での活動に初めて参加するのが3人ですから、初めて顔を合わせる子どもたちは

さぞかしドキドキしたことと思われます。


おさんぽかいの1日の様子は写真をアルバムのようにしてInstagramのハイライトにまとめてあるので、

興味のある方はご覧ください。

植物や小さな虫とともに生命力に溢れたイキイキ、キラキラした子どもたちがいます。

春のおさんぽかい



さて、おさんぽかいでは年長児を中心に小集団をリードしていく姿が自然発生的に見られました。

大きいジブンへの誇らしさや責任感を持ってこの日を臨んだのかもしれません。


一方、年中児たちは前回の3月のやまのぼりのときとは構成メンバーや雰囲気もガラリと一変し、戸惑いつつも状況に適応しようとしているように見えたことは新しい収穫でもありました。



リュックサックを置いて走り回った広場でお弁当を食べ終え、敷地内の別の場所へ移動する際、ソレは起こりました。


一人の子が自分の使ったレジャーシートをリュックに入れることを拒み、兄弟に持たせたことから始まりました。(ちなみにレジャーシートはみんな自分の分を持ってきています。)


持たされた方はリュックに当然すでに1枚入っています。2枚を持つことになることに不服があるのは当然のことでしょう。

移動の足は止まり、断固として拒否。持ってない人が持って帰るべきた、と身体全体で自身の正当性を主張します。


しかし、シートを持たせた側の子はといえば聞く耳持たずで、スタスタ歩いて行くものですから、

これには

「おい、まだもんだいはかいけつしてないぞっ」と呼び止めたのです。


みんな立ち止まりました。

こう着状態です。


シートを敷いているときは押し付けあうような

雰囲気ではなかったため、なぜしまうときになって

こうなってしまったのか皆目見当がつきません。


これには何か理由があるのだろうと思われました。


「ん?自分のリュックに入れないのは何かわけがあるの? ○くん2枚持つことになるからいやだって言ってるね」と

代弁と話し合いが円滑に進むよう「なぜ?」を尋ねてみたところ、


「……ことばにならない」



言葉にならないとは…!

言葉なんかではとても言い表せやしないってこと?

これにはそんな複雑な事情や感情があるということでしょうか?奥が深い!ますますなぞです。


そのあと、「重いから…」とも言いましたが

レジャーシートの重量など荷物の中で言うまでもなく軽いですから、重量的な問題ではないことは明白でした。

でも「重い」と表現するに値する何かがあるのです。

両者に正義があってこう着状態は依然続きます。


ここで私が大人の正義を振りかざして

「自分が持ってきたものは自分で持って帰りなさい」とジャッジして命じたり、「嫌がってることだし軽いものだから持って帰ってあげたら?」などと懐柔策を提案して2人の問題を解決することはできたかもしれません。


しかし、たとえ表面的な体裁を取り繕うことができたとしても、その解決は大人の与えた一見平和そうな範囲内のごく小さな世界であり、当の子どもたちの気持ちは全く反映されていません。子ども不在です。心の中のもやもやは残り、ことの流れに気持ちが追いつかないかもしれないのです。


「子どもが納得に至らない表面的な解決」は親子の集まる公園や集団保育の場などで、これまでに何度も目の当たりにしてきた光景です。


大人同士の関係を良好にするためであったり、時間がない、人手が足りない状況では十分起こりうることでそれが必ずしも悪いというのではないのですが、子どもの気持ちが後回しになることが慌ただしい園生活や家庭で常態化していると、

子どもはいつ自分の感情に向き合い、正直に表現したり、大切にすることができるのだろうか、と危機感を持っているのです。


あそびのアトリエで大切したいのは、子どもの気持ちです。その気持ちを自身で整理したり考えたりするには時間がかかるものです。

心の伴わない「ごめんなさい」なんて、まさに表面的で、気持ちが昇華するまでに追いつかず、周辺から感じる圧力によって謝らされている、ということはないでしょうか。


幸いなことに、おさんぽかいは予定は詰め込みませんし、大人の人手もあるという、子どもを育む上で必要な資源が揃っています。

少人数ですから予定調和で進むこともなければ、同調圧力も働きにくい環境であることから、

一人ひとりの気持ちに寄り添うことが可能です。

ここは腹を据えてじっくり2人にお付き合いし、事の成り行きを見守りたいと思いました。


時間を要することでしょうから、

他の子どもたちは先に進んでもらってもよいだろうか?と断りを入れると、それはダメだと。

みんなにはこの場にいて欲しいことを望みました。



一方で2人のこう着状態を他の子たちはどう感じているのだろう?

早く先へ進みたい、立ち止まっていることの不満や怒りがあるかもしれない…と頭をよぎりました。


こう着状態の2人を心配してか、気になっているような子が側に寄ってきたタイミングで、事情をわかりやすく説明して2人の問題について意見を求めたところ、

言葉は稚拙ながらも「1人一枚ずつ持つのが良い」という主旨のことを話してくれました、(と受け取れました)

なかなか的を得た判断ができるものなんだな、と感心しました。


その他の子どもたちはというと、地面に棒で線を描いたり穴を作ったりして、こう着状態に不満を持っている、イライラしている、あるいは退屈で何もすることがない、という訳ではなさそうなのでしたので、共に待つことにしました。


この絶対にシート2つは持たないぞ、と主張している子について言及すると、優しすぎたり、押しきられると受け入れるところがあるのかなと見ていたので、この強固とした態度には目を見張るものがありました。

双方とてもガンバッテ主張されておられます。

これ、どう決着するのだろうか…😅


一応、その場にいる大人としては全体的な計画として

帰る時間は決めているものですから、

あとどれくらいココで遊べるかはお伝えしました。



すると、遊ぶ時間がなくなってしまうぞ、まずいと思ったのか?

事態は動き始め、2人の間で折衷案が展開されたのです。


そして、採用された案は、なんと持ち手のつかないシートを「1分ずつ交代でもつ」というなんとも驚きの解決で両者納得し、再び歩み始めたのです!



1分って!



割と短いですけど💦

すぐ訪れるからこの先頻回に交代が生じることになりますけど…


時間の感覚を知っている子たちですから

「1分」の短さを知っているはずで、だからこそ、そのくらいのちょっとだけなら持ってやってもええかな?という両者が折り合った解決策なのだと思いました。

見事ですね。私には全く持ち合わせていない解決策でした。


ただ大人には、その1分はどうやって計るのかな?とか

1分毎にシートが行き来する煩わしさの方が先に立ちはしますが。

そもそも「2枚もつ」ことから免れてないし…とかツッコミたくなります。

でもそんなことは当の子どもたちにとって問題ではありません。



2人が話し合って決めた…ということが大事なんです。



その証拠に、それ以降スタッフにも確認してみたけど、誰もレジャーシートが出てきたところを目撃した人はおらず、当然「1分ごと」どころか「交代で待つ」ことすら行われることはなかったようなのです。


それでも解決前のような怒りや納得できない、という負の感情やわだかまりに支配されている様子はなく、


子どもどうしで関わりながら、目の前の楽しみを見つけに過ごしているように見られました。



あぁ、余計なこと言わなくて良かったなぁ

自分たちで解決できて良かったなぁ


そんなふうに思っています。


幼児ですから解決策に未熟なところがありはしますが、経験を重ねることで今後効率や精度を修正、向上させて問題に向き合っていくであろう核の部分に触れられた出来事でした。