今回は非認知能力を育成するゲームを楽しみました。
ゲームはあくまでも、非認知能力を引き出していくためのツール。
楽しむというのは入り口で、楽しいから意欲を持ってやろうとか、本気が生まれます。
この本気というのがミソで、
この意欲とかやる気とか本気が出ないと
(だれかに)
”やらされるもの”になっていきます。
この”やらされるもの”に取り組むこともとても大事だと私は考えていますが
(子どもによっては宿題なんかもそうだと思います)
自分の本来の能力を100%近く発揮していくには、
自分が本気で「やりたい」と思える力はとても重要です。
事実、私は10年前から大学の学生など若者との交流がありたまに進路相談をされますが、
彼らは「本当にやりたいことがわからない」と言います。
これは、学生に限らず子どもでも成人でも結構多い気がしています。
この「わからない」をざっくりと分解してみると、
→自分がなにが得意不得意かがよくわからないorない
→やってみたいことはあるけど自信がない
の大きく2つに分けられるなぁと思っています。
そもそも、たくさんのあらゆる経験(アソビノでやっているいろんな分野・ジャンルに触れること、挑戦し失敗したり成功してみたりすること)を幼少期からしていないと、
進路選択が目の前に来たときに、すぐにわかる訳がないのです。
ちなみに私は、社会人になってからもいろんな経験をして、アソビノには30中盤手前くらいでいきつきました笑
なので、人生の半分くらいになってから気づくよりは、本当に、幼少期から、大人の愛という保障がある中で、たくさんの経験を積み重ねた方が良いと思います。
それでも日本は今の時点では、最低限生きられる社会が作られているので、
”そこそこ”は生きられると思います。
ただ、社会は今後、「VUCA(将来予測が困難)の時代」と言われているので、どうなるかはわかりません。
本当の意味での”しあわせ”を実感できるには結構難しい社会なのではないかと、個人的には思っています。
だから、アソビノグループの長期的な創りたい人物像は
「じぶんのしあわせをじぶんで決められる大人」なのです。
アソビノの次のステップとなる「(中学生向け)マナビノ」では、
こんな生き方迷子にならないように、
より、自己分析や自分の得意・不得意を知っていく学びにつなげていきますが、
そもそも
アソビノでこういったたくさんの経験をしていないと、自分がなにか好きか嫌いか、苦手か得意かはすぐにわかりません。
だからこそ、アソビノは、遊んでいるようでとても大事な人生の基礎を創っているのです。
すみません、長くなってしまいましたが、
非認知ゲームではあらゆるゲームをたくさんします。
90分しかないので今回は5つくらいしかできませんでしたが、
例えば、その中のひとつ「なんでもバスケット」。
簡単に言ってしまえば、「フルーツバスケット」を「なんでも」にしたのですが、
「朝パン食べてきた人!」とか
「黒い靴履いてきている人!」とか
自由でOKなのです。
これもじつは意外と非認知能力(=経験値)のある・ないがわかったりします。
まず「自由」だと、
(決まりきった「スイカ」「リンゴの人」などの模範がないと)
言えずに考え込んでしまったり困ってしまう子が実際にいます。
(アソビノはそこから育成していく場なので、言えなくても全然OK!)
また、「髪が長い人!」ということを言った子。
この「長い」という基準がわからず、(とくに肩くらいの子は)自分が該当するのかしないのかわからず迷っていた姿がありました。
これもとても良い題材で、
「自分の基準と相手の基準は違うこと」に気づくチャンス。
すぐにみーちゃんが入り、
「どうしたら伝わるだろう?」という投げかけをしました。
そうすると、
「肩くらいまでと言ったら?」とか
「髪縛っている人にしたら?長くないと縛れないから」とか
たくさんのアイデアが!
これも、一人が生み出してくれた題材で
みんなが学び合えている証です。
これも、できなくて全然OK。
むしろアソビノは、できないからこそそこを養うために存在している場所。
非認知能力は”見えない力”なので伝わりにくいかもしれませんが、
ちゃ〜〜んと、みんな子ども同士で育ちあっていますよ
<おまけ>
🌸ご入学・ご進学おめでとうございます!🌸
前月まではなかなか自分から手を挙げて発表するのが難しく、お友達と一緒に前で発表していた子が、ある投げかけを2ヶ月ほど前からしていたところ
進級し、自分から初めて手を挙げる姿があり、感激しました
すごいですね、「お姉さんになった」という意識とこどもの力は本当にすごいなぁと思いました。