本当は教育ブログのはずだったので、たまには真面目に書きます…


アメーバニュースにこのような記事がありました。


首都圏の大学ブランド番付、トップは早稲田
 日経BPコンサルティングは12日、2010年8月に実施した「大学ブランド・イメージ調査 2010-..........≪続きを読む≫



~首都圏の大学ブランド~


日本はどうも学歴社会というものがついてまわります。


中学はどこそこ、高校は、大学は…と。


しかしブランドは最終的には世の中に通用するものだとはあまり思いません。



確かに、相対的に見て、有名大学を出た人がそのままエリート街道まっしぐらとか自分で会社を設立して大成功する人はもちろん多いです。



しかし、それは本人のモチベーションの高さだったり努力だったりするものです。


学校のカリキュラムが本人に合えばそれも理由にあがります。


あとは、自分の大学の先輩方が会社の上層部にいる場合は就職しやすかったりするかもしれませんケド・・・



正直、学校ってそこまで関係ないと私は思っています。


エリート街道を進んできた友人でも社会に出て潰れてしまった人も多く見ています。

自分の好きな道に行って大成功している友人もいます。



一般的にも


社会に出て、入社して…


専門学校出身の人や有名大学ではない人がエリート大学出身者よりも仕事が出来て出世するという話は聞きます。


もちろん、自分のレベルを上げるのに勉強は必要ですし、夢を持って頑張ることは必要です。


有名な学校に行って得るものは、もちろんたくさんあります!!!



しかし、社会に出て必要なのは『学校の偏差値』ではありません。

『生きる偏差値』はまた別にあるのです。




ただ、ブランドがいいからってだけで学校を選んでも『生きる偏差値』はあがらないと思います。


・ここに行って何がしたい!!!

・この学校のこういうところに惹かれた!

・ここの教育カリキュラムが好きだ!

・ここの校風が自分に(子供に)合っている!


こういう理由がついて初めて、自分にとって(お子さんにとって)最適な環境となり


そういう最適な環境化で『生きる偏差値』は上がると思うんです。




誰だって自分は本当は自分がダメな子だなんて思いたくないはずです。

じゃあ、どうして自分がダメ人間だとか思うようになるのか…




その例の一つとして中学受験をした子で挙げてみると…

背伸びして自分の実力以上の中学に入った(←この努力は生かされると思います。)

周りは頭のいい子ばかりで頑張っているのにテストではいつも下から数えたほうがはやい。(←ここで自分は出来ないんだ、ダメなんだという錯覚に陥る。)

親にも成績が悪いと言われ、なおさら凹む。(努力を見ないで成績だけを見て言葉を発する親が多い。)

勉強が嫌になる、学校が嫌になる、自分に自信がなくなる・・・


こういう人は


社会に出たが、自分に自信がなさ過ぎて意欲がわかない。


失敗する。

どうせダメ人間だから…って思う。


この繰り返し…になる可能性は多いですね。


こんな悪循環に陥ったら『生きる偏差値』は低下します。

これでは学歴はそれなりにあったとしても社会に出て通用しなくなるでしょう?



また、エリート街道まっしぐらできた人が社会に出た人でも…


自分に自信がめちゃめちゃある!

社会に出ても自分本位でガンガン行く。

社会には色々な人がいて、時には自分が頭を下げなけれなならないことも…

でも、プライドが高すぎてそれが出来ない(頭でっかちになりすぎて)

頭がよくても、時には自分が間違っているかもしれないのに謝れない。

やってもらって当たり前で感謝の言葉を知らない。



こんな人も『生きる偏差値』は低いと私は思います。


人生を楽しむ。

仕事を楽しむ。

趣味を持つ。

大事な仲間がたくさんいる。

などなど、『自分の心の状態を豊かに保つこと』が『生きる偏差値』に関係していると私は思うのですが、皆さんはどう思いますか?



私は、家庭教師として指導する特に心がけていることは成績を上げることだけでなく、その子のモチベーションをいかにあげるか、自分の目標をいかに自分で目指せるかなど、精神面のケアも行うことです。


自信を持った子は自分でどんどん道を切り開いていきます。

感謝する気持ち・素直な気持ちを持った子は心の状態が豊かで、結果、いい運が巡っている気がします。


せっかくなんだから、どんな子にも好循環で行って欲しいです♪




何か長くなってきて脈絡がなくなり自分でもまとまりがつかなくなったので、この辺で止めときます…(文章にするって難しいなぁ)


『生きる偏差値』…皆さんも、もしよろしければ考えてみてください☆


コメントもお待ちしております。