私には、六歳離れた妹がいるのだけれど、彼女も私に影響されて同じ学校に入ったの、彼女の場合は絵画の実技試験がない中学受験だったので、賢い彼女はすんなり一番で入学。。
でも、、、美術好きじゃなくなってしまってね、絵の課題は全て私が担当だったし、私が当時ハマってた洋楽に興味がいったみたいで、海外留学狙いにシフトしたのよね。。当然、お金はかかるじゃない? 何となく私としては責任感じていて、大学進学じゃなくて短大を選んだの。。まぁ、早く働いて稼いで好きな様に描きたいとか、大学遠かったから都内の短大のが良いってのも、あったんだけど。。
だって、油絵の具ってA~ランク付けされて値段も同じ量のH何かはキャンパスのSIZEが大きくなるに連れて量が必要でしょ、滅多に買えない感じだったから、比較的安いグリーン系統の絵の具でばっかり描いててさ、、先生なんて、名前じゃなくて、「緑の人」って呼ぶのよ。。好き好んで緑じゃないんですけど。。

話が逸れたわ、、
ヨーロッパの話、、そうそう、春休み近くなってくると、卒業旅行のパンフレットがズラーッと並ぶんですよね、、卒業はまだ一年先だから、関係ないはずなのに、ビビって電流が走っちゃったの。親にお金掛けさせちゃ悪いって思ったから、話しづらくて迷ったんだけど、どうしても行きたい!!ヨーロッパ数ヵ国とエジプト辺りがメインの美術館と遺跡、城巡り1ヶ月強。どれも、同大学の教授がついて説明あり!!

素敵っ('∀')♪

「成人式の振り袖とか結婚式のドレス着ないから、行きたいっ今すぐ行きたいっ」って、両親に頼んだよ。「パンフ持ってきなさい」
って、案外すんなりOKが出て、拍子抜けしたけど、切羽詰まった顔してたんだろうね。。

例の今でも仲良い三人、巻き込んで、パンフ見比べた結果、大手で比較的安い(てか、今思うと激安過ぎて怖い)45万のパンフを各自親に見せたの。。。

直ぐに親同士(親同士もめっちゃ仲良いんですよね)電話攻撃で、、何だかんだ、話し合いが行われて一番高い70万のツアーで決まり!!

既に出発まで1ヶ月切ってて締切だったところを無理やり入り込んで、バタバタしながら行きましたよ、、
15時間くらいだったか?かけて先ずは、ヒュースロー空港LONDONが一番目だったの。夕方着で、時差ボケだったけど、夕飯までの一時間ぐらいを、ジツとなんてしてらんない、カムデンマーケット目指して抜け出しました。   えぇ、、バカだから帰って来れなくなって、(全然迷子意識ないから、clubみたいなとこで、優雅に小腹を満たしたり散歩さんぽ)結局夜中にヒルトン到着、、協調性無いからね、、悪気無いし。。

添乗員と教授、同行した美大の方々、ヒルトンのホテルマン総出で探してくれたみたい。行方不明事件になってたから、こっちが、ビックリだったよ。

次の日からピッタリマークされてたなぁ~勿論、まいてましたが、、


やっぱ、書き切れなかった。。配分下手だなぁ~
Christmasだね♪皆は、楽しいChristmasを過ごせてる? 私は、家族とのんびり過ごして、明日例の三人とホームpartyだよ(・∀・) 私、夜は、旦那さまと別々に寝ます。一人の時間が無いとダメなのです。
愛し合うときだけ、一応再婚新婚なんで、旦那さまが、お部屋にくるシステム。大奥みたいだろ。。うへっ
子供の頃のChristmasを思い出したので、ブレイクタイム。。

皆はサンタ!何才まで信じてたのかなぁ?私、、小6、、 煙突から降りてくるでしょう。家には煙突が無いし、当時はマンションだったから、道に迷って、プレゼント貰い損ねたら大変!!って思って、煙突がある家から(銭湯ね、、)張り紙の地図と私の家はこっちですみたいな矢印→を沢山張り付けるのが習慣だったんだよね。。親が、巧かったのか、私が可笑しかったのか未だに不明だけど、夜中や日中にサンタが隠れるとこ見たし。。

でね、子供ばっかりが、プレゼント貰えて大人が貰えないのは不公平でしょ?

親戚が集まって15人ぐらいかな?もっと居たかも、必ずChristmasパーティーやってたんだけど、一人づつに、プレゼント作って渡してたよ。懐かしいなぁ。

皆は、どんなChristmasを過ごすのかな。私はホームpartyをやる予定です。

皆にとって幸せな日となりますように。。。by RIN
予告していた内容だと濃すぎて、一辺に書くには長くなりそうなので、行けるところまでお付き合い下さい。

17才~ 私は、友達の伝手で沢山の舞台を観て回った。四季に入ってる子の舞台、能役者の子の舞台、ジャズ、日舞の舞台、、   ある日、歌舞伎の舞台美術をやっている人の伝手で、歌舞伎座に数人で出掛けた。正直、能にあまり良い印象が無かったので、四時間も時間を取られるのは億劫だなぁ~なんて重い気分だったんだけど。。

当時は、ソニプラとかヨーロッパ何かのポップな雰囲気が高校生の主流で、私の中では、外国が旬。あまり和の世界は興味持てなくて。。

いざ、歌舞伎座の中に入って、独自の日本文化の素晴らしさに圧倒された、、 舞台は、おいらんのお話だったと思う。。洋画ばかり描いていたので、洋の色味しか染み付いていない自分に、嫌気が差すほど、和の持つ独自の色使いに私の中の第六感がドクドクと波打つ感覚に陥った。

「何で、日本人なのに、こんなに素晴らしい色を知らないで、表現しないで過ごしていたの?」舞台が終わっても、涙がポロポロ落ちて腰抜け状態で、立つ事が出来ないぐらい衝撃を受けた。

友達も同じ感覚だったのか、掃除のおばさんが、不信そうに私達を見てたのを覚えてる。

それから、私たちは、暇を見つけては立ち見(お金無かったのよね)や、楽屋にちょくちょく顔を出すようになっていた。10代の子なんて当時は居なかったので、美大の卵だと知ると役者さんも、喜んであらゆる面を観せてくれた。

はまり過ぎていたのもあるけれど、とにかく色にひかれて、舞台芸術、衣装、そういう職業につきたいなぁとその頃からやんわり考えてたかな。

新しいものの吸収は、私の制作活動にも拍車をかけて絵画の成績は昇り調子だったからスランプ知らずで、描けなくなる子が、覚醒剤に手を出すのが理解出来なかった。(自分の事しか見てないよなぁ、今になって、つらかったろうなって思う)

あっ、絵画に集中するから、勉強はまるきっりダメ、と言うかやらなかった。全然。。一人芸大出の先生が居たんだけど、「名前だけ書けるぐらいの馬鹿でも、才能があれば美術の世界はOKなんだよ」なんて噂を真に受けてたしね、、

当時は、舞台見に行くならこの子達、遊ぶならこの子達、絵の事を学ぶならこの子達って感じで友達を悪く言うと使い分けてたから、特定仲良くなって今でも交流があるのは、バカだけど才能がある子達三人、、 
本当良い出逢いに恵まれた。一人は、建築家の娘、一人は、彫刻家の娘、最後の一人は、大学の入学式に一人だけオーバーオールで来ていて、私からアプローチして友達になって貰った。
日本の伝統も凄いけど、固執してちゃ如何なぁと、その子ら四人でヨーロッパ貧乏旅行に出たのは、また次回書かせてもらいます。