予告していた内容だと濃すぎて、一辺に書くには長くなりそうなので、行けるところまでお付き合い下さい。

17才~ 私は、友達の伝手で沢山の舞台を観て回った。四季に入ってる子の舞台、能役者の子の舞台、ジャズ、日舞の舞台、、   ある日、歌舞伎の舞台美術をやっている人の伝手で、歌舞伎座に数人で出掛けた。正直、能にあまり良い印象が無かったので、四時間も時間を取られるのは億劫だなぁ~なんて重い気分だったんだけど。。

当時は、ソニプラとかヨーロッパ何かのポップな雰囲気が高校生の主流で、私の中では、外国が旬。あまり和の世界は興味持てなくて。。

いざ、歌舞伎座の中に入って、独自の日本文化の素晴らしさに圧倒された、、 舞台は、おいらんのお話だったと思う。。洋画ばかり描いていたので、洋の色味しか染み付いていない自分に、嫌気が差すほど、和の持つ独自の色使いに私の中の第六感がドクドクと波打つ感覚に陥った。

「何で、日本人なのに、こんなに素晴らしい色を知らないで、表現しないで過ごしていたの?」舞台が終わっても、涙がポロポロ落ちて腰抜け状態で、立つ事が出来ないぐらい衝撃を受けた。

友達も同じ感覚だったのか、掃除のおばさんが、不信そうに私達を見てたのを覚えてる。

それから、私たちは、暇を見つけては立ち見(お金無かったのよね)や、楽屋にちょくちょく顔を出すようになっていた。10代の子なんて当時は居なかったので、美大の卵だと知ると役者さんも、喜んであらゆる面を観せてくれた。

はまり過ぎていたのもあるけれど、とにかく色にひかれて、舞台芸術、衣装、そういう職業につきたいなぁとその頃からやんわり考えてたかな。

新しいものの吸収は、私の制作活動にも拍車をかけて絵画の成績は昇り調子だったからスランプ知らずで、描けなくなる子が、覚醒剤に手を出すのが理解出来なかった。(自分の事しか見てないよなぁ、今になって、つらかったろうなって思う)

あっ、絵画に集中するから、勉強はまるきっりダメ、と言うかやらなかった。全然。。一人芸大出の先生が居たんだけど、「名前だけ書けるぐらいの馬鹿でも、才能があれば美術の世界はOKなんだよ」なんて噂を真に受けてたしね、、

当時は、舞台見に行くならこの子達、遊ぶならこの子達、絵の事を学ぶならこの子達って感じで友達を悪く言うと使い分けてたから、特定仲良くなって今でも交流があるのは、バカだけど才能がある子達三人、、 
本当良い出逢いに恵まれた。一人は、建築家の娘、一人は、彫刻家の娘、最後の一人は、大学の入学式に一人だけオーバーオールで来ていて、私からアプローチして友達になって貰った。
日本の伝統も凄いけど、固執してちゃ如何なぁと、その子ら四人でヨーロッパ貧乏旅行に出たのは、また次回書かせてもらいます。