こんにちは

本ブログに書き込むのはエジプト留学以来2年ぶりになりますが、また2年間のエジプト行きが決まったので、再開したいと思います。(帰ってきてからしばらくFC2使ってたのですが、どうも慣れませんでした)
さっそくですが、記念すべき自身の誕生日に、エジプトに赴任いたしました

エジプト赴任が決まってから1カ月で政変が起き、自分の就職がなくなるんじゃないかと気が気でなかったですが(そっちかよ)、どうにかこうにか赴任することができました。
幸いなことに留学時代の友人や先生方はエジプト政変の際もケガひとつなく皆無事で安心しましたが、
実際に政変を経て、エジプトは私の知っているエジプトとは全く変わってしまったのではないか。
飛行機の中では、そんなことばかり考えていました。
そしてエジプトの空港に着いて私を迎えたものは、変わらない砂埃とエジプト人の人懐っこい笑顔。
相変わらず鼻炎に悩まされることを予感しつつ、久しぶりに会う友達との再会を果たしたような安堵感がありました。
しかし、実際エジプトで2週間過ごしてみて、革命の影響をひしひし感じるときもありました。
この国の治安は確かに悪化したと思います。
以前は若者集団の横を通る時、うざいとは思っても恐怖心は感じませんでした。
だけど今はちょっと怖いです。一部の若者はまだ革命前後の興奮状態を持続させている気がします。
また、観光客も減っているので、観光地周辺では業者による激しい客の取り合いが行われています。
たとえば、観光地へ向かう客を乗せたタクシーを身を乗り出して止め、多数の業者がタクシーを取り囲むといった現象がありました。
実際治安はやや悪化しているようで、ひったくりも増加しているようです。
とはいっても、おそらくエジプトの治安はスペインや南米と比較してかなりいい方ですが。
どこにいってもそうなのですが、「絶対に大丈夫」ということはないのだということは念頭に置いておいた方がよさそうです。むしろ以前のエジプトが安全すぎたので、少し気を張っておこうと思います。
ところで、先週例のタハリール広場に行ってきました!といっても、一番盛り上がる金曜や夜間は避け、土曜の昼間に行きました。
タハリール広場は現在まだデモ隊が占拠しており、車両の通行は禁止されています。
そのため、広場の中は完全に歩行者天国状態で、ど真ん中にはいくつもの白いテントが設営されています。
土曜の昼は、一番盛り上がる金曜の次の日で、休日ということもあり、デモ隊にとっては祭の後だったのでしょう。
土曜日はテントの中でデモ隊の人々が爆睡し、舞台で人々が歌い、あるいは演説し、テントの周りにはジュース屋などの出店や、革命グッズ販売の出店が立ち並ぶなど、さながらお祭りのようでした。広場には、子供連れの家族の姿が多く見られ、ペインティングや写真撮影などをして楽しんで(?)いました。
「アナ・バルタギー(私はならず者だ)」と書かれたTシャツを着て写真を撮るコーナーも。
また、広場一面に書かれているデモ隊の要求に関しても、要求はバラバラです。
今一番ホットなのは、「ムバーラク前大統領の裁判」です。
だけど他にも補助金や遺族への慰謝料だったり、賃上げだったり、シャラフ首相の退陣だったり。
ようするに、あまり全体としてのまとまりは無いようです。
おそらくこの革命が起きた際、欧米を中心とする多くの国々の期待としては、タハリールの若者たちが新しい政党を組織する、もしくは既存のリベラル派政党に入党し、政治参加していき、その勢力がムスリム同胞団よりも大きなものになることを期待したことでしょう。
だけど実際には、タハリールの革命家たちは、タハリールでデモを行い、声をあげることを自分たちの使命とし、政治参加に対しては小さな政党がいくつか出来上がっただけで、政治勢力として自分たちで国を変えていこうという気がないように見えます。そしてはからずも、同胞団系やサラフィストによる政党設立が目立っているのが現状です。「言うは易く行うは難し」という言もありますが、今のタハリールの状態は駄々っ子がごねているようにも見えます。
エジプト人マダムいわく、「革命は終わったのよ、早くおうちに帰りなさい」とのこと。
相変わらず、政府の方も民衆の機嫌を損ねまいと、要求をのんだり内閣を改造したりと忙しそうでうです。(内閣改造はやった先から文句を言われてますが)
ただ、先日デモ隊がアッパッセーヤの軍最高評議会にデモ行進に行った際のバルタギーとの衝突以来、デモ隊と軍との関係が悪化してきているので、ラマダーン月に入ってからどうなることやら。
とりとめもないですが、消息報告がてら、こんな感じで時折エジプト生活や中東情勢を呟く予定ですので。
日本の皆さんもお元気で
