2009年10月26日(月)、武田幸三選手が引退しました。

1995年にデビューして以来、右のローキックと右ストレートを武器に数々の名勝負を見せてくれました。“超合筋”とも呼ばれたその肉体は、彼のキックボクシングに対するストイックさが凝縮されたものでした。キックボクシング選手として、その強い姿も、目を背けたくなるような姿もリング上で表現し続けた選手でした。

クラウス選手との引退試合終了後のマイクで発した、「何とか生きて家族の元へ帰れます。」という言葉は、武田選手の格闘技人生の過酷さを表していました。

この武田選手のマイクの直前に、魔裟斗選手が武田選手に花束を贈呈するためにリングに上がっています。魔裟斗選手も2009年12月31日を持って格闘技選手としての生活にピリオドを打とうしている選手です。引退という二文字を背負った両者がリング上に並んだ瞬間でしたが、その引退に対する美学はまさに対照的なものです。

選手としての自身のピーク時の姿も、衰えていく姿も見せてリングから退いていく武田選手。一方で、自身の弱っていく姿を見せることを避け、ピーク時に引退していく魔裟斗選手。どちらのスタイルが正しいか、誤っているかというのはないと思います。純粋に引退という概念に対する美学の違いから来るものだと思います。格闘技界に限らず、他の競技においても、このような対照的な引退のスタイルが見られます。今尚現役のサッカー選手として試合をすることに拘る三浦知良選手や中山雅史選手、また今期最下位であった横浜ベイスターズを解雇されても尚、西武ライオンズのトライアルを受けようと46歳にして現役に拘り続けるプロ野球選手の工藤公康選手が前者のスタイルとして思い浮かびます。後者のスタイルとして記憶に新しいのは、元サッカー日本代表の中田英寿選手でしょうか。

このような引退に対する美学の違いは、損得勘定で計れるものではありませんが、敢えてイメージや人の記憶に刻まれる部分の損得ていうと、魔裟斗選手のようなスタイルの方が得なのかもしれません。特にその競技における有名選手であればあるほど、そうなのかもしれません。強い姿を見せ続け、弱い姿を見せずに一線から退くことが出来れば、強くて格好良いイメージを残したまま引退できます。その後、次の世代が台頭し、スター選手が出てきても、“いやいや、あの頃の〇〇選手の方が強かったよ”と言ってくれるファンも多くいると思います。一方で衰えを感じながらも尚現役に拘り続ければ、自身の弱っていく姿を見られてしまうことは、否が応でも避けられません。人間の記憶は古いものは褪せ、新しいものほど鮮明になるため、過去に築きあげて栄光を傷つけてしまうリスクもあります。

それでも現役に拘り続ける選手を突き動かすものは何なのでしょうか。

先日の工藤公康選手がインタビューで下記のようなコメントをしていました。

「自分の栄光だけではなく、ボロボロになった姿を子供に見せたい。それを含めてお父さんなんだということを覚えておいて欲しいから投げ続けるんだ。」

プロの選手になった瞬間に、その競技は自分だけのためのものではなくなります。観ている人、特にファンに対して何を届けられるかという義務も生じてきます。有名選手になれば、有名選手になるほど、その役目は大きくなってきます。

私が格闘技が好きな理由の一つに、“リアル感”が感じられるところにあります。雄の原点であるどちらが強いかを二人だけの空間で競うこと、スターや良いものが勝つのではなく、例えば桜庭和志選手のような選手でも負ける刹那がそこにはあります。個人競技であるため、チーム競技に比べ、より一層その選手に圧し掛かる負担は大きくなります。強い自分も弱い自分も全て自分で背負い、それを観衆の目の前で晒さなくてはならないのです。

魔裟斗選手のような引退スタイルを私は否定しません。もちろん今までK-1 MAXで築いてきた功績は大きなものですし、かっこいいイメージのまま引退したいというのは人間の心理としてあると思います。また、子供にパンチドランカーになった姿を見せたくないというのも一理あるでしょう。

ただ、格闘技という過酷な競技の中で、強い姿も、弱い姿も含めた自身の生き様を曝け出し、格闘家としての実力グラフの放物線を描ききった武田選手には心から喝采を送りたいと思います。

武田選手、本当にお疲れ様でした。そして、どうもありがとうございました。