「5月30日は、アノマリー」
そう誰かが呟いたのを聞いたとき、私はてっきり、金融市場の気まぐれな格言か何かだと思った。しかし違った。それは、位置情報ゲーム『Ingress』の世界において、青と緑の陣営が血で血を洗う(物理的に歩き回る)お祭りのことだった。
そして私の暮らすこの世界において、5月30日という日付は、確かに私の精神に大ダメージを与える「アノマリー(特異点)」として機能したのである。
「リチャージ組」という名の、自宅の守護神
今回、私は現地に足を運ばない「リチャージ組」として参戦した。
リチャージ組とは何か。一言で言えば、自宅のソファという最高に快適な環境から、遠く離れた現地のポータル(拠点)へ遠隔でエネルギーを送り続ける「後方支援部隊」である。今回のアノマリー会場は、呉だった。
ポテチを片手に、エアコンの効いた部屋でスマホをタップする。
「ふっ、現地で汗を流しているエージェント諸君、私のXM(エネルギー)を受け取るがいい……」
気分は完全に、前線を裏から支配する黒幕、あるいは有能なオペレーター。画面の向こうで激しく明滅するポータルを見ながら、私は必死に画面を連打し、我が陣営のポータルを守り抜こうとしていた。勝てる。この鉄壁の防御があれば、我が陣営の勝利は揺るぎない。そう確信していた。
目の前で起きた「緑化」の悲劇
しかし、アノマリー(特異点)の魔物は、そんな私の傲慢を許さなかった。
画面上のポータルのエネルギーゲージが、ガリガリと削られていく。敵(緑陣営)の攻撃が凄まじい。「耐えろ! 耐えるんだ私のポータル!」と、親の仇のように画面をタップする指に力を込める。もはやタップというより、スマホの画面を破壊せんばかりの勢いだ。
その瞬間、世界が止まった。
一瞬の静寂の後、画面の中で私が健気に愛を注ぎ、応援していたポータルが、眩いばかりの鮮やかなグリーンへと変貌を遂げた。
「……え?」
我が目を疑った。リチャージの通信ラグか? いや、現実だ。目の前で、愛しのポータルが敵の色に染まっている。あまりのショックに、手に持っていたポテチが虚しく床へ落ちた。自宅のリビングという平和な空間にいながら、心だけは完全に木っ端微塵に吹き飛ばされた瞬間だった。
結論:やっぱりアノマリーは現場に限る
自宅でただ一人、緑色の画面を凝然と見つめながら、私は深い悟りを開いた。
「やはり、アノマリーは現場が一番ね……」
部屋で一人でポータルをひっくり返されるのは、ただの「孤独な敗北」である。悲しさを共有する仲間もいなければ、敵の「うおおお!」という歓声(生々しい熱量)もない。ただただ、静かに精神が削られるだけだ。
もしこれが現地だったらどうだろう。目の前で緑になっても、「あちゃー! やられたー!」「次あっちのポータル行こう!」と、悔しささえも祭りの熱狂の中に溶かしていけたはずなのだ。
5月30日のアノマリー。それは私に「遠隔での敗北の味」という、説明のつかない奇妙なトラウマを植え付けた。
次のアノマリーは絶対、モバイルバッテリーを両手に抱えて現場に突撃してやる。そう固く心に誓いながら、私は床に落ちたポテチをそっと拾い上げた。














