地獄と天国は、あの世のことだと思っていた。
でも、最近、この世にも地獄と天国があることが漸く(ようやく) 分かった。(遅いなあ😅)
地獄とは、閻魔大王様がいて、悪いことをした人間を懲らしめるところで、地獄にいる人間は、ずっと灼熱地獄で悶え苦しみながら生きていくしかない。
また、いつも怒っている鬼もいて、地獄に来た人間に怒ったり、虐め(いじめ)たり、意地悪したり、嫌がらせをしたりしている。金も要求してくる。
一旦、この地獄に入ってしまうと、まあ、なかなか出られない。
天国は、何のストレスもなく、周りにいる人間は皆親切で優しく、楽しく嬉しく幸せに暮らせる。
そう考えると、今までの自分は、どうだったのか?、今、どうなのか?を考えるようになった。
そういえば、今までは、何十年も、少なくとも40年は、程度の差はあっても悶え苦しみながら生きていたのかなと思う。
何十年も、自分がこの世の地獄で暮らしていたなんて、全く思っていなかった。地獄で暮らしていたなんて、全く気づいていなかった。
人は、そういうものかもしれない。
じゃあ、なんでこの世の地獄で暮らしていたのかな?
よくよく考えてみると、その理由が漸く分かった。
地獄の入口に入るか入らないか、ということは、人生の選択の時に出会す(でくわす)ことになる。
そう考えると、地獄の入口に出会しまうことは、人生で頻繁にある。
自分が意識していようがいまいが関係なく、地獄の入口に立つことになる。
じゃあ、地獄の入口に入ってしまうのは、どういう理由で入ってしまうのかな?
自分の今までの人生を振り返ってみると、自分の感情(こうしたい、ああしたい、これが欲しい)を優先して行動したときだったように思う。
若い時であればあるほど、自分の感情で判断して行動してしまいがちだ。
自分の間違った感情で判断した結果、地獄に落ちたことになる。
もっと、「冷静に客観的に理性的に」判断していれば、地獄に落ちることもなく、普通の暮らしができていただろう。
もう二つ、地獄の入口に入ってしまうことがある。
二つ目は、自分の自発的で積極的な感情で判断したのではなく、他人から誘われるなどして、その誘いを自分の感情で判断して、その誘いに乗ってしまったときだ。
三つ目は、他人から半ば強制的に誘われて、断れない状況で、その誘いに乗ってしまったときだ。
この二つとも、他人からの誘いに乗ってしまって、他人に引きずりこまれて、地獄に落ちるハターンだ。
では、今の自分は、どうなのかな?
このこと、この世にも地獄と天国があることが漸く分かったので、今だから考えることができる。
(1)数年前までは、いつもお金の心配をしていた。持っているお金の多い少ないは関係がない。お金に貪欲になると、いつもお金の心配をすることになる。
(2)健康面でいえば、数年前は、血圧が上160だった。
(3)精神面では、数年前は、睡眠不足で時間の余裕がなく、いつも何かに追われていて、ゆっくり考える余裕がなかった。その日その日を生きることに精一杯だった。
今思えば、あの状態で何年も暮らしていたら、十年もしないうちに心筋梗塞か脳梗塞で早死にしていたと思う。
このように考えると、数年前までは、この世の地獄で暮らしていたんだなと思う。
では、今の自分は、どうなのかな、と言うと、
(1)お金の心配をすることがなくなった。お金の面で安定している。
(2)血圧が130で安定している。ほぼ毎日、プールで泳いでる。8か月で、バタフライも含めて4泳法で、水泳選手のような泳ぎ方で泳げるようになった。(⌒∇⌒) 肉体的な健康が安定している。
(3)睡眠不足もなく、ゆっくり考える余裕がある。だから、ブログも書ける。精神的に安定している。
そういうことで、今までの地獄の暮らしから漸く脱出したんだなと思うようになった。普通の暮らしができるようになった。
この世の地獄とは、あの世の地獄にいるように、次のことが言える。
〇 自分や周りの人間(鬼)が、いつも金の心配をしている。
〇 周りの人(鬼)が自分の金を巻き上げる。
〇 鬼は、甘い言葉で誘ってくる。例えば、「夜寝ているうちに自動的に稼げますよお。」
こういう甘い誘いに乗ってしまう理由は、自分が楽をして得をしたいという貪欲さがあるから。自分が私利私欲で生きているので、こういう甘い誘いに簡単に乗ってしまう。
貪欲さ、私利私欲を捨て、「冷静に客観的に理性的に」判断できれば、こういう甘い誘いに乗ることはない。
そもそも、人を誘う鬼は、何のために誘うのか。それは、鬼が人のためにではなく、自分が得をしたいと考えているから。人から誘われた時は、最低一か月は「冷静に客観的に理性的に」考える。その間に、その人の言っていることが本当なのか、調べる。そうすると、鬼が言っていることの真意が分かってくる。
〇 自分の周りに、怒る人、怒りっぽい人(鬼)がいる。
〇 自分を虐めたり、意地悪したり、嫌がらせをする人(鬼)がいる。
〇 嘘をつく人(鬼)がいる。自分を騙す(だます)人(鬼)がいる。
〇 嘘をついて自分を貶める(おとしめる)人(鬼)がいる。
こういう人(鬼)が周りにいたら、注意しないといけない。
常時、こういう人(鬼)と一緒にいないようにする。距離を置くようにする。
自分一人の問題であれば、地獄から脱出することは、自分の決断だけでできるので、そう難しくはない。
自分の周りに、自分を頼らないと生きていけない人がいると、自分がいないと困る人がいると、地獄から脱出することは非常に困難となる。
というこで、この世の地獄で暮らしていない「普通の暮らし」は、周りに「鬼」がいないことに加えて、
(1)お金の心配をすることがなく、安定している。
(2)肉体的に健康で安定している。
(3)精神的に安定している。
(4)自分が悪い人ではないこと。もっと言えば善人であること。
さて、この世の地獄があることは分かったので、次は、この世の天国を考えてみる。
天国の入口に入るための基本条件は、上の(1)(2)(3)が揃っていないと、天国に行ったときに、「楽しく嬉しく幸せ」に暮らすことができない。
また、(4)で言えば、自分が善人でなければいけない。いつも人に親切に優しくしていないといけない。
自分が今、善人であっても、天国に行ったとき、嘘をつくような悪人となってはいけない。悪人となった瞬間に、天国から地獄に直行することになる。普通の暮らしには戻れない。
さらに、この条件だけでは天国に行くことができない。なぜなら、天国という所は、地獄と違って、気がついたら、そこにいるという場所ではないからだ。
天国に行くには、自分を天国に導いてくれる人(天使)がいないと行けない。自分一人で天国には行けない。
この天使は、自分の前にそう簡単に現れてくれない。
では、どうしたら、天使が自分の前に現れてくれるのか?
上の四つの条件を「普通の暮らし」で行っていると、自然に天使が現れてくれる。
この天使は、もちろん人だけれども、自分とこの天使の波長が合い、お互いに認め合うと、天国に行く準備ができる。もちろん、この人も、自分が天使だとは思っていない。
こうして初めて、天国への入口の前に立つことができる。
立つことはできても、このままでは、入口の前に立ったままで、天国の入口の中に入ることはできない。
では、どうしたら、天国の入口の中に入ることができるのでしょうか?
それは、天国で暮らすということは、「楽しく嬉しく幸せ」に暮らすことなので、このように暮らすための準備が必要となる。準備とは、天国で「楽しく嬉しく幸せ」に暮らすために、自分にとって不足していることを充足させること。
この準備は、人それぞれなので、一概にこうすればよい、ということが言えない。
自分の場合は、天使が見つかったので、今、天国に行く準備をしている。この準備は、努力なしではできないので、やるしかないと、頑張っている。