この話はフィクションです。登場する人物•団体は存在しません。


午後4時の太陽は、真昼のような明るさであった。琵琶湖西岸を走るJRのS駅を降りると、店で見かけたことのある若いアルバイトの女が二人、時刻表の前で立話をしていた。互いに面識はあったので、私が二人に会釈をすると、向こうも軽く会釈を返した。立話は終わりそうになかったので、私は独り集合場所の湖畔へと向かった。驚いたのは、湖岸からすぐの所に、家々が立ち並んでいることだった。風に揺られる湖岸の芝生には、穏やかな波が打ち寄せていた。

桟橋を越えていった所の、遊泳場のようなスペースに着いた時、義明らは早々と食材の準備をしていた。
「あの桟橋から、ひとりずつ飛び込もうや。で、最後に寶田さんや」
義明と男たちは、クーラーボックスからパック詰された大きな肉をテーブルの上に放り出しながら、その場をどうやって盛り上げるか相談していた。
「寶田さん、楽しみにし過ぎやろ。せっかくやから、盛り上げたらんとな」
男たちのうちのひとりがニヤリとした。
「あの土管の中に入れてもええなァ」
また別の男が、小さな崖に埋め込まれた土管を指差すと、一同は大笑いした。
しばらくすると、ぞろぞろとメンバーがこちらにやってくるのが見えた。立話をしていた二人や富田、東雪子らの姿も見えた。集団の最後尾には、おろおろと皆の後を追う寶田もいた。
「お、富田と東のおでましや。富田と東の、な」
男は繰り返した。
琵琶湖の湖水はまるで海のように、はるかかなたまで水平線が伸びていた。風がそよぐと、潮風のような香りがした。
男たちは大きくごつごつした手にトングを持つと、荒っぽく肉を焼き始めた。それからというもの、寶田は私の近くにぴたっと貼りつき、私が右に行けば右に、左に行けば左へと離れることがなかった。かといって私は、とりたてて彼と話すこともあまりなかった。つまらない世間話をこちらがひとつ、ふたつすると、狼狽しながら彼は応じた。
肉が焦げはじめた頃、男たちは桟橋の上で群れを作っていた。陽は次第に傾いて、ひんやりした風が気持ち良い。男たちはガタイの大きな義明を三人で抱えると、湖の中へと放り投げた。彼は奇声をあげながら、岸辺へと泳いだ。
「おい、富田。次はお前や」
肉をひっくり返していた富田は長財布をズボンの後ろから取り出すと雪子に手渡し、桟橋のほうへ走った。彼もまた、勢いよく水の中へ放り投げられた。
「その服、なんぼや」
びしょ濡れになった富田に、男たちは大笑いした。
「水、結構深いし、冷てぇよ」
桟橋から数十メートルを泳ぎきった富田は、息を切らせながら震えていた。
「ほんだら、寶田さん。琵琶湖が呼んでますよ」
男たちの手拍子が始まった。寶田は桟橋まで羽交い締めにされて引っ張られると、男たちの手で持ち上げられた。
「メガネだけは、メガネだけは」
寶田の叫び声の高まりに合わせて、男たちの大嗤いは激しくなった。寶田の姿が滑稽で、私も彼を嗤った。定職を持たず、女にモテない、ずんぐりした寶田を私は嗤った。その時、一瞬、寶田は私の方を見た気がした。私は昔、その眼を見たことがあった。小学校までの通学路に、腑が大きな腫瘍で膨れあがった老犬がいた。通行人たちはその犬を見ては罵り、子供たちは石を投げつけたりした。私が蔑んだ眼でその犬を見ると、彼は諦めきって力の抜けた眼をしたのだ。寶田の眼は、あの犬の眼にそっくりであった。
滅茶苦茶にリンチされた寶田は湖に放り投げられた。その日、寶田は死んだ。

(おしまい)