昨日おとついは寒くて
冬に逆戻りしたかのような
気候でしたね~
久しぶりにダウン着て
ニット着て防寒バッチリで
出勤いたしました・・
春はまだかなあ
今日は
ふるさとの景色について
山陰には母方の実家がある
中国地方の名峰、大山の麓に
その家はある
蔵や納屋、本宅とは別に離れのある
昔ながらのゆったりした作りの家
当時は3世代同居の大世帯
らっきょうウマイ
子どもの頃、夏休みや冬休みの
長い休みにきょうだいの子どもたちだけで
毎年よく遊びに行った
始発駅の電車に乗って目的の終着駅まで
日本海を眺めながら
ゆらゆら揺られながら
祖父母やいとこたちに
これから会える楽しみで
わくわくドキドキ胸いっぱいだった
4時間かけて駅に着くといつも
改札口で出迎えてくれるのは
シャンと立つ祖父とにこにこ笑う祖母の顔
ふたりを見つけると一目散に
きょうだいみんなで駆けつけたんだっけ
改札口で待つふたりの姿が今でも脳裏にある
その駅からまた車に乗って1時間
従姉妹は年が近く
喧嘩ばかりしていたけど
学校で流行っていることを話したり
プール泳ぎ、登山
スキー、雪遊び、かまくら、、
自然のなかで工夫しながら遊ぶ
というのを覚えたのは
きっとこのときの経験から
生まれたものなのだろう、と思う
祖父母の家は山に囲まれた大自然のなかにあり
畑でとれたばあちゃん手作りの食物が
たくさん食卓にのぼり
牛を何頭も飼って育てている農家だった
野菜だけではなくお米も作っていて
ばあちゃんの炊いたごはんは
つやつやピカピカで日本一美味しかった
お茶碗によそうのも煩わしく
ついついおひつに箸を突っ込んで食べていて
よくじいちゃんに手を叩かれていた・・笑
苦笑いでいつもじいちゃんは許してくれて
それを見て大笑いしていたばあちゃん
料理上手なばあちゃん
じつは栄養関係の資格?食生活指導員?
だったかな、市で行われている栄養講座に
参加してなんらかの活動をしていたらしい
戦後の混乱期、どこからか
ケチャップというのを知り
工夫してうちの母や夫であるじいちゃんに
食べさせていたらしい
お好み焼きという料理もその頃は
あまり一般的ではなかったが
作り方を人づてに聞いて作ったらしい
味は、ソースなんてない時代だから
今とはだいぶ違った代物が出来上がったそうな。
この話はばあちゃんが亡くなってから
伯母と母が話しているのを聞いて知ったこと
わたしの、食いしん坊で好奇心旺盛なところは
ばあちゃんに似たのか、とひとりにやけて
なんだか嬉しくなった
夏のあいだ、ばあちゃんが
よく作ってくれたのは焼き茄子
子どもの頃は焼いた茄子の匂いが
どうも苦手でばあちゃんが見ていない隙に
隣のいとこの皿へうつして
食べたふりをしていたっけ・・
今になって思い起こせば
旬の茄子を最高の調理方法で
こさえてくれていたのに
なんて罰当たりな子どもだったんだろうか。。
そして、とうもろこしの蒸かしたの。
ばあちゃんの実をはずすあの早業テクニックは
未だに真似できない
めっちゃ早かったなー
スイカも美味しかった
シソジュースも甘さ控えめで好きだった
暑い外から遊んで帰ってきて飲むと
汗かいたからだにしみわたる美味しさ
じいちゃんについては
厳しい人でしたが厳しいながらも
情のある、懐の大きい人でした
背も高くパリッとしたスーツも
着こなすモダンなじいちゃん
この話についてはまたいつか・・・
いつかの3月、
桜の咲く頃に亡くなった祖母
数年経つ間に祖父も亡くなり
今はあまり行くことの少なくなった
ふるさとだけれど
自分の原点のひとつとして
あの景色は間違いなくある
雄大な大山にいつも勇気をもらっていた
なぜか深呼吸してしまう。あふれる空気の
美味しさにからだが満たされていた
子どもたちだけで旅に出させてくれた
寛大な(大胆な?)親に感謝である
誰しもがふるさとに良い思い出が
あるとは限らないかもしれないけど
ユーミンの”春よ来い”を聞きながら
昔の思い出にひたりつつ
これから迎える春を
精一杯楽しめるようわくわくして待ちたい