赤ちゃんは生まれてくるとき、
その小さな耳に初めて聞く言葉は
きっと「おめでとう」であろう。
立ち会うお医者さんや
看護師さんからの言葉である。
でも米国の看護師は産まれてきた命に
「おめでとう」ではなく、
もうひとつの言葉をかけるときいた。
それは「ウェルカム」である。
「あなたが産まれてくることをわたしたちは
みんなで待っていましたよ。ようこそ」
という歓迎の言葉である。
しかし、この「おめでとう」も「ウェルカム」の
言葉さえ聞くこともなく誕生する命も
あるのではないかと思うのである。
その命が母のおなかに宿ったと
わかったときから、
迷惑がられ
「困った」と思われた命。
さらに産まれ出たとき、
初めて聞いた言葉が両親の
「ため息の言葉」で、
それを聞かされて人生が始まった命も
あったのではないだろうか。
いやたとえ
「おめでとう」の
言葉を聞いて始まった人生さえ、
この競争して乗ろうとする
地下鉄のような社会の中では
疲れきってしまって、
自分が自分を
「いらない者」のように
思えてくる時が来るのである。
しかし、わたしたちが
誕生したあのとき、
わたしの命をお造りくださった
真の神さまは、
たしかに、
「ウェルカム」
と言ってくださっていたのである。
「あなたはわたしに喜ばれてこの世に産まれてきた、
かけがえのないわたしの大切な子である」と。
競い合って振り返ることもないくらい走り続けるわたしたちが、
もし神様からの「ウェルカム」を
忘れていたら、聖書を開くと どこからでも、
その神様の声は聞こえてくる。
「主(神)の救いを静かに
待ち望むことは良いことである。
人が若いときにくびき(重荷)を
負うことは良いことである。
主がこれを負わせられるとき、
ひとりすわって黙しているがよい」。(哀3:26-28)
6日の働きを終え安息日に入りました。
さまざまなことに心がザワザワしてたりしません?
そんなとき 神様はこのように語りかけてくださるのではないでしょうか
「心配するな。
あわてるな。
がっかりするな。
旅はまだまだ続く。
まだ生きてゆかなければならない。
今お前はヘコんでいるけど、
わたしはお前への計画をもっている。
今お前にはそれが見えないが、
今のその痛みは、
苦しみは、
孤独はやがてお前の力になる。
あわてるな。終わりじゃない。
いよいよ本格的にお前の人生が始まる。
今のこの味わっているやるせなさが
お前をつくっていく。
心配するな。お前はわたしの存在に気づく。
そのときお前の手の上に、
わたしの言葉、聖書がきっと置かれている。
その本の中から、お前は忘れていた
わたしの『ウェルカム』を聞くのだ」と。
よい安息日をお過ごしください