昔の私は話が長いことは丁寧なことだと思っていました。
なので、一つのことを説明するにも、
様々な情報や背景を追加して伝えていました。
例えば海鮮を食べに行った時
これはどこどこ産のハマチで
これはどこどこ産の海老で
これはどこどこ産のイクラです。
みたいな感じ。
それが「この人は食通だからこの情報は喜ぶに違いない」という確信の元一つ一つ情報を伝えるのではなく、
「どの人が食通かも分からないから全部伝えておけば間違いない!」的な情報の伝え方
そこには「情報が全く不要で、美味しく食べれたらそれでいい」という人が存在するということを考えたことがありませんでした。
「同じものでも情報一つで美味しさは変わって感じるもの。
で、あれば絶対伝えないと勿体ない!」と思ってました。
確かに「大間のマグロが入りました!」と言えば、
「おぉそれはすごい!」と、思うかもしれませんが、
その位有名なものでなければ、
いちいち説明されると、
「で、いつ食べれるん?お腹減ったんだけど」とか
「いつまで続くんだろう。この後用事があるんだけどな」
みたいに、
結局他のことを考えさせてしまって話を聞いているようで聞いていない状態を作ったり、
不快な感情を作ったりします。
それが今なら「蛇足」だと分かりますが
当時の私にとっては非常に重要なことでした。
なので、途中で話を切られるなど
話を聞いてもらえないことが起きると
自分を大切にされていないという感情がとても湧き上がってきて
自分が話が長いことが原因ということに気がつかず
「この人はひどいだ!」
「話を聞いてくれない!!」と、
相手を責める気持ちや悲しい気持ちが沸き上がってきていました。
続く