私はほんの数年前まで「愛」というものが実感できませんでした。
幼い頃からなぜか「いい子でいなければならない」と思いながら育ちました。
「お父さんに怒られないようにしなくっちゃ」
「褒められるようにするにはどうしたらいい?」
「どうすればお母さんは喜んでくれる?」
幼いながらにいっぱい、いっぱい考えました。
姉の背中を見ながら
「あぁ これをしたら怒られるんだな。
じゃぁしたいけど辞めておこう」
「あぁ これをしたら怒られるんだな。
じゃぁしたいけど辞めておこう」
「お母さんお姉ちゃんからこう言って欲しかったんだろうな。
じゃぁ私はその言葉を言おう」と、
じゃぁ私はその言葉を言おう」と、
自分で「愛されるための条件付け」をしていたように思います。
勿論両親が私に愛情を注いでくれていなかったかといえばそんなことはありません。
新幹線に乗っていた父は夜勤と日勤があったこともあり、
家にいる時は料理を作ってくれたり、野山に遊びに連れていってくれました。
母は冷凍食品や市販のおやつ、惣菜は一切買わず
野菜を作り、食事、おやつ、そして服も手作りで作ってくれました。
厳しく躾をしてくれたのも
カラダに良い物のために、時間を惜しまず手をかけてくれたのも
子供達のためと思ってくれてのことだと思っていたので、
他の家庭と比べて羨ましいなと思う事があっても、
不服はありませんでした。
私はそんな両親を尊敬していたし、
自分が結婚して子供が産まれたら同じように育てようと思っていた。
だからこそ、
両親に認められるには・・・
両親を喜ばせたい・・・と、必死になっていたのかもしれません。
スピリチュアルの世界でよく出てくる言葉「愛」
愛で満たす
愛情を込めて
自分を愛する
いろいろなところで目にするものの
どうすればいいかが分からなかった。
もちろん言葉の意味は分かる。
でも実際のところ感覚的に「愛」が分からないし、イメージができない。
柔らかいもの?
あったかいもの?
包み込むエネルギー?
私はどう考えてもこの言葉を表現する言葉が見当たらなかった。
無償の愛
本当の意味でこの言葉が理解できるようになったのは
本当にここ数年のこと。
「愛は自分が満たされなければ
本当の愛は周りに配ることができない」
本当にそうだな。
そう思えるようになるまで40年近くかかりました。
◆◇◆◇◆◇
今、
何気ない会話や
ふざけあってる時、
完全に脱力している時でさえ
瞬間瞬間に
愛情が溢れていることに目を向けることができる。
過去の私のように
「愛がどんなものか分からない」という人は意外と多い。
その多くは 幼い時に
無意識の内に「愛=条件」と、自分の中で結びつける経験をしてきています。
愛は探しにいっても見つけにくい。
本当はすぐそばにたくさんあるもの。
それに気づくためには自分の中の愛に気づいたり
無条件の愛をあなた自身がたくさん感じること。
無条件の愛をあなた自身がたくさん感じること。
条件でもなんでもなく、
ただ、この人のために何かしてあげたい
そう想い、想われる事がたくさんの愛を生み出し
たくさんの愛を受け取ることに繋がるのだと、今の私は思います。



