自分を認めてあげること~香月編~ | スピリチュアルウォーキング~ココロとカラダのダイエット~

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以前「自分を認めてあげること(自己承認)」 という記事を書きました。


数年前までの私は、実はとても自己承認が低い人でした。


私はいろいろな資格を持っています。

人からは「向上意識が高いですねアップ」・・・とよく言われていました。


こんな素敵な情報だから、皆にお伝えしたい。

きっといつか仕事に結びつくだろう。

そう思いながら取り続けた資格。


その時はそんな事を考えた事もなかったのですが、きっと資格を取る事で「資格を持っている自分」に自信をつけたかったんだと思います。


でも実際は・・・取ったの資格の半分以上が使われないまま眠っています。


眠ったままになっている原因・・・。

それは学んでも学んでも「もっと知らなくちゃ」「もっとたくさん学ばないと人には伝えれない」という自分の自信の無さからです。



その頃の私は、何かの講師の資格を取ってすぐに「○○の講師をします」と言っている人に対して「実績もないのにどうしてそんなにすぐに講師と名乗れるのだろう?」と不思議で仕方がありませんでした。


それは自分がどんなに学んでも「講師」と名乗る自信が無かったので、自分を正当化する為に出来ている人に対して「信じられない」という目線しか持てなかったのだと思います。



資格を取り、周りからどんなに「香月さんもう十分学んでるじゃない」と言われても


「いやいや、もっとやってる人がいるから・・・」

「いやいや、もっと実績を積んでから・・・」

「いやいや、オリジナリティーを出さないと・・・」と言い訳を言い続け、避けてきました。



矛盾していますよね。



自分では「自己承認が低い」と認識はありましたが、それが根底にある事でどんな心の動きになっていたのかは考えた事がありませんでした。




(c) .foto project


私の師匠である川下かずよ先生と初めて出会った時、「あなたの魂が求めてる事は何だと思う?」と聞かれました。

私は迷わず「人のお役にたてるものを提供し続けること」と答えました。


かずよ先生は「もしあなたが「最高だ」と思う物を人に勧めて喜ばれなかった時、どう思う?」と聞かれました。


私は「「あぁ、この人には必要ないんだな」と思います。」と答えました。


するとかずよ先生は、「じゃぁ、何度もあなたが「役に立てる」と自信を持って勧めてたものを断れ続けたとしたら?」と聞かれました。


私は「だんだん自信が無くなってくると思います」と答えました。



先生は「自分に自信がある人は、周りがたとえ必要と思わなくても、自分が良いと思った事は自信を持って勧め続けることができます。

人の為・・・というのは人の目線を気にしているということ。

この状態が続くと、自分の意志とは関係なく“相手に合わせた事”しか言えなくなるよ」と教えてくださいました。



私にとっては思ってもみない言葉ですぐには理解する事ができませんでした。



「人の役に立つこと」=「喜ばれる事」=「素晴らしい事」という観点しかなかったからです。



「人の役に立つこと」が時として「他人軸」となり、「自己犠牲」と繋がっていくことになるとは考えた事はありませんでした。



ただ「喜ばれるからする」のか。

「自分がしたくて、やった結果喜ばれる」のかでは自分の中が全く違うということです。



そして、もうひとつ重要な事は、例え自分がしたくて行動していたとしても、他人を喜ばせるために家族を犠牲にしていないかということ。


当時私の家は掃除が行届かず、夫の食事も作らず「人の為」と、なりふり構わず動いていました。



相談の電話がかかれば夜中の2時だろうと、明け方の5時だろうと1時間も2時間も相談に乗りました。


誰かが何かイベントをすると言えば主催者の為にスタッフをかってでて主催者以上に声をかけて歩きました。



文句を言う夫に「これをすることで喜ぶ人がいるんだ」と言っては昼夜構わず動きました。


夫はそのうち何も言わず協力してくれるようになりました。



私は「夫婦で人の役に立っている」「理解のある夫だ」と誇らしく思っていました。



今考えるととても怖い事です叫び


それは私だけではなく夫にも「自己犠牲」を強いていた事に気が付いていなかったから。



私は小学校、中学校といじめられ、自殺を考えた経験があります。

きっと「人から攻撃されないためには周りの人に喜ばれる存在でなければならない」と自分を守る為に無意識の内にそう考えるようになったのかもしれません。



私は夫に自己犠牲を無意識の内に強要していました。

これが大人ではなく子どもだったらどうなっていたでしょうか?


私のようにその子は大きくなっても「人の役に立つ為には自分を犠牲にしなければならない」と思い込んだ人生を送っているかもしれません。



まず自分を大切にできているかどうか

そして家族も大切にできているのかどうか


できているつもり・・・になっていないかどうか・・・


自分を認めれていないと、ここは自分自身ではなかなか判断が難しいかもしれません。



本当の意味で自分を認める事が出来て初めて分かる事がある・・・。


自分を認めることができて・・・とても気持ちが楽になりましたニコニコ




みなさんは「認めているつもり」「満たされているつもり」・・・になっていませんか?