スタンダールの「恋愛論」 | ASKAの「本日も恋愛小説」

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日常と非日常のはざまで生きる痛女(イタジョ)の
気づいたことや伝えたいこと。
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恋とは何か?

愛とは何か?




私はその定義を求めて、子供の頃から、いろいろなものを読んだ記憶があります。

古今東西の恋愛小説、日本やギリシャやケルトなどの神話伝承、ユングやフロイトなど心理学、プラトンなどの哲学、恋愛を論じた本・・・

 

恋愛の対象範囲は広かったと思います。

中学時代には、ナボコフの「ロリータ」もマゾッホの作品もマルキ・ド・サドの作品も読みました。(ロリコンやSMの語源になったものです。)

同性愛に関しては、歴史的には、かなり「当たりまえ」だったものであることを知りました。近親相姦も、神話にも歴史にもよくあることです。(聖書ですら)

 

プラトニックな恋愛とエロティックな恋愛が、違うものと認識されていることは大きな間違いだと気がついていましたし、(プラトンがエロスという用語を使ったのだから)性的恍惚と宗教的恍惚が、かなり近いものらしいことも学びました。

 

しかし、「机上の空論」。

恋については、幼稚園の頃からしていましたけれど、キスの経験もなく、

その上の実際の具体的な性知識は皆無でした。

 

性行為の画像イメージとしてはギリシャの娼館のレリーフと、曼荼羅がすべてです。

うーん、あまりよくわかりませんでした、ハイ。

文章的にも、もっとも赤裸々な性行為の描写は「古事記」だったような気がします。

イザナギとイザナミの国生みのシーンですね。

まあ、これも振り返れば、というところで、私はわかりたくなかったのだと思います。

フナの解剖とか苦手でしたし。

(三島由紀夫やサドを読んでいても、です。装飾的な言葉や比喩表現や、アブノーマルな描写が多くて、知らないものには、どうも具体的にはっきりしないので)

 

欠落したものであることはわかっていましたが、

肉体的な部分の詳細(概要?)はあまり追及しようとは思いませんでした。

まあ、これにはいろいろ理由があります。

 

そして、その不確かで曖昧な性知識のまま書物を読み進め、

恋愛に関して、私がもっとも感銘を受けた書物は「恋愛論」でした。

スタンダール(19世紀のフランスの作家。イタリア大好き男)の書物ですから、もはや著作権の問題もありませんし、これはいずれ、きちんとまとめようと思っています。

 

恋愛のさまざまな「真理」が描かれていて、時代は変われど、ノウハウ本としても、

現代に通用します。

たとえば、

1.女性はあまり早く体を許すと、男性に大切にしてもらえなくなる

とか、

2.気になる女性には、毎日連絡を続けてパッタリやめると、淋しさを植え付けられる

とか、

理由を含めて書いてあります。

 

すごいですよね。

1に関しては、結晶作用「クリスタライゼーション」という名前まで付けています。

男の恋が美しく純粋に「結晶する」には、ある程度の時間がかかるんです。

女は待たせなければなりません。

2は、eメールやLINE、Skypeの普及した、現在だからこそ有効な方法ですよね。

毎日コンタクトを取り続けると、女性は最初は「ウザい」と無視していても、いつのまにか待つようになるんです。

その後、その女より「少しだけ容姿の劣る」女性と仲良くする姿を見せることが効果的だそうです。「少しだけ容姿の劣る」ってところは重要で、男性の方にはわからないかもしれませんが、ここは、わかっているなあ、と感心する部分です。

 

でもね、私がスタンダールを「すごい!」と思うは、そういう恋愛の機微をすべてわかっていながら、

自分のこととなると猪突猛進に女性に告白して、結構失恋しているという事実。

 

これは、深いです。

 

今は、彼がどうしてそんなことをしたのか、よくわかるような気がします。

 

その、深い部分も含めて、このブログを書いていきたいと思っています。