最近、映画とのすれ違いというか、意思の疎通が図れないことが多かった。


「20世紀少年≪最終章≫」。
特別に観たかったわけではないが、大変な人気のようだし、とりあえず鑑賞。
最終章の宣伝を兼ねて、テレビで1と2をやっていて、それらを観て「自分には無理だ」とおよその見当はついていたのに、行ってしまったというわけ。

熱があるのに無理して会社に行って余計症状がひどくなった、に似ているか。
正直、何がなんだか全くわからなかった。



「ヴィヨンの妻」
太宰治の小説の映画化。
こちらは20世紀少年のように、「SFだからわからなくても。」みたいな言い訳ができない。
まだ観ていない方には申し訳ないが、出てくる旦那はただただ本当にどうしようもない男に描かれているし、妻の若かりし頃の開き直りの発言など、「なぜ、なぜ、なぜ?」、と共感するところが露ともなく。
奥が深すぎるのか、時代背景のせいなのか、う~ん。


目と耳から情報を得ているのに、不思議なくらい理解できない。
顔半分を占める私のひろいおでこに反射して、脳まで伝達できないのか?(それこそSF)


というわけで、この2作は映画と私との間に非常に距離感を感じ、自分の理解力低下を心配することになったのだが、「正義のゆくえ」を観て一安心。
普通に理解できた(と思われる)。


伝え手の表現が相手の理解に相当影響するものと思われる。
聞き手の耳を鍛えるだけでも駄目そうだ。


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