おはようございます。今朝は3時に目が覚めたので昨夜何度挑戦してもエラーマークがでてみれなかった ASKAさんのライブに再挑戦しました

askaさんの誕生日2月24日・ 記念すべき初のバースディの日のライブ

ラストの曲は名古屋では聞けなかった曲でした。 (24日は1時間近くログインできなく生配信は途中からしか見れなくちょっぴり悲しかったです)

 

 今日から2005年2月26日にスキーで脊髄損傷する怪我をした息子の入院の様子を書きます

息子の怪我があったから 私が病気になったとき、なんとかなる!私選ばれたんだ!と思うことができました。

私の白血病なんて長男の怪我に比べたら 何てことないさ ってあらためて思います

人は弱いです、でも強い!

2月26日13時30分・・息子(長男)が転落したとスキー場から連絡

息子の後方を滑っていたご夫婦が、救護室と友人にすぐに連絡をしてくれ

知らされた友人の一人から 今探していると電話をくれました。携帯をならしても

出ないと言われ、私も何度もかけたのですが出てくれませんでした。

救急車の中からも様子を知らせてくれる友人。

意識は戻ったが下肢が動かないと知らされ ました

転落して6時間後に対面した息子は、内臓に血がたまり・・

輸血しないと危険であることと、背骨が折れ脊髄損傷のため下半身が麻痺してると

告げられました・・・・

夢であってほしいと何度も思いましたが現実でした。

「パラリンピックをご御存知ですか?」

「はい。脊髄損傷ですか?」

「お母さんは脊髄損傷の言葉をご存じなんですね」

「友人がいますから」

冷静になんかなれないのに、その場面ではすごく冷静でいられました。

一緒にスキーに行っていた人達は 私の職場関係の人達でした。

私の同僚は壁をたたき泣き崩れてしまい 私がしっかりしなくては彼を苦しめると

とっさに思うことができ 彼には「大丈夫だよ」と声をかけることができました。

「お母さんつらいね、私達が息子さんの命守るから」と私の涙がとまるまで

ギュッと抱きしめてくれた最初の看護師さん。

 

まだ命の保証はないけど何かあったらすぐに連絡します

からと医師に言われ、帰るしかありませんでした。

怪我したスキー場の近くの病院(私が生まれた郡上の病院)はオペ中だったため

自宅から1時間の病院へ入院できたことは 不幸中の幸いでした。

息子の体にはすり傷ひとつなく、脇腹?から見えるドレーンから血液が流れでている光景だけが怪我の重さを表していました。

 

変われるものならかわってあげたい

その日は両親も泊ってくれたのですが、眠れない一夜を過ごしました。