このブログのURLや、私のハンドルネームに askaと入っている以上、避けては通れない話だと
思っています。
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」は、富山県出身の医師、故井村和清氏(1947年 - 1979年)のお話であります。
骨肉腫の為に右足を膝から下で切断、のちに肺に悪性腫瘍が転移したことにより若くしてこの世を去った医師井村和清(いむら・かずきよ)氏の書かれた本の題名である。
昭和22年8月12日生まれ、
昭和52年に岸和田徳州会病院入職、内科医。
昭和52年7月飛鳥ちゃん生まれる。
昭和52年11月22日 右膝関節炎→線維肉腫、骨肉腫の為、右下肢切断
昭和53年8月 肺転移
昭和54年1月21日 午前5時21分 永眠 享年31歳
その後に生まれたのが、清子ちゃんです。
肺転移の段階として、西暦だと1978年。
肉腫の肺転移が抑え込める治療がどれだけあったか?
また、下肢切断という事態を乗り越えた段階で
30歳。医師と言う仕事でありながら、肉腫と戦い
その後に、テレビドラマ、映画を含めて広く世間に肉腫という
病気を知らしめた人だと思います。
詳しくは 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」の著者 井村和清医師の紹介コーナー (岸和田徳州会病院)
昭和53年12月13日、岸和田徳州会病院で最後になされたというご挨拶を転載します。
三つの悲しみ (職員への別れの挨拶)より
「私の心には三つの悲しいことがあります。一つめは、どうしても治らない患者さんに何もしてあげられない悲しさです。二つめは、お金のない貧しい患者さんが、病気のことだけでなく、お金のことまでも心配しなければならないという悲しさです。三つめは、病気をしている人の気持ちになって医療をしていたつもりでも、本当には病気をしている人の気持ちにはなれないという悲しさです。ですから、私は皆さんに、患者さんに対してはできる限りの努力を一生懸命していただきたいのです。」
思っています。
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」は、富山県出身の医師、故井村和清氏(1947年 - 1979年)のお話であります。
骨肉腫の為に右足を膝から下で切断、のちに肺に悪性腫瘍が転移したことにより若くしてこの世を去った医師井村和清(いむら・かずきよ)氏の書かれた本の題名である。
昭和22年8月12日生まれ、
昭和52年に岸和田徳州会病院入職、内科医。
昭和52年7月飛鳥ちゃん生まれる。
昭和52年11月22日 右膝関節炎→線維肉腫、骨肉腫の為、右下肢切断
昭和53年8月 肺転移
昭和54年1月21日 午前5時21分 永眠 享年31歳
その後に生まれたのが、清子ちゃんです。
肺転移の段階として、西暦だと1978年。
肉腫の肺転移が抑え込める治療がどれだけあったか?
また、下肢切断という事態を乗り越えた段階で
30歳。医師と言う仕事でありながら、肉腫と戦い
その後に、テレビドラマ、映画を含めて広く世間に肉腫という
病気を知らしめた人だと思います。
詳しくは 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」の著者 井村和清医師の紹介コーナー (岸和田徳州会病院)
昭和53年12月13日、岸和田徳州会病院で最後になされたというご挨拶を転載します。
三つの悲しみ (職員への別れの挨拶)より
「私の心には三つの悲しいことがあります。一つめは、どうしても治らない患者さんに何もしてあげられない悲しさです。二つめは、お金のない貧しい患者さんが、病気のことだけでなく、お金のことまでも心配しなければならないという悲しさです。三つめは、病気をしている人の気持ちになって医療をしていたつもりでも、本当には病気をしている人の気持ちにはなれないという悲しさです。ですから、私は皆さんに、患者さんに対してはできる限りの努力を一生懸命していただきたいのです。」