本日、息子のバースデーである。
9歳になった彼は、パパとなったTADに初めて祝ってもらえる。
この2人、中身が同じで大人バージョン、子供バージョンというだけの違いでしかない。
だから、照れやなポイントや、必要以上に思いやってしまうところ、真面目に考えるところが同じなのだ。
そして本当はお互いに好きなのに、上手く表現出来ないし、なかなか言葉にしない。
挟まれた私は、お互いが居ない処で大切に想う気持ちを、お互いに伝えていくのだけど。
たまに、イラッとする。
私から[大切なんだよ]と云う言葉を貰うより、直接貰った方がどれだけ心に響くのだろう。
お互いが解っているはずなのに、うまく伝えられないジレンマ。
お互いが、自分ではこんなにも受け止めているのに、という悩み。
私は知っている。

恋人でも、夫婦でも、親子でも。
愛してるんだよ、という言葉はいつも何かを満たしてくれる。
そして、そういう関係の迷いや悩みは一瞬で解決出来ないけれど、少しのキッカケで楽になれることがある。

ねぇ。TADと息子。
本当に本当は、2人は片思いなんかじゃないんだよ。
いつだって、お互いを大切に想ってるんだから。

今、川から段ボールが流れております。
勿論、段ボールの中にはラブリーキュートな子猫ちゃんが。
いるはずがないんです。
そんなに通常、ドラマチックな出来事なんて転がっておりません。
転がっているのは、淀んだ世の中、川に段ボールを不法投棄する現実、浮気を疑われる実情しか、所詮ここにはないんです。
いいんです。
G.W初日に息子と母をお供に暑い中、動物に会いに行くミッションをこなし家族サービス致します。
友人から怒りの話、『誰も完璧になんかなれねぇんだよッ』と聞けば、『誠にごもっともなご意見、恐縮致します』と頷いていりゃぁなんとかなります。
夜には、『ヨシくん、お帰りなさい会』で、人の彼氏を出迎えてはバカ騒ぎを起こすという、営業むしろ仕事をしてきます。

私も誰かに接待されたいんですけど!!


今日でちょうど2ヶ月経った。幼なじみを亡くしてから。
私にとって生まれたときからの幼なじみは、もう2人ともこの世にいない。
今、なんとなくこの現実を受け止めている。
哀しみが深い時ほど、誰にも云えなくて。
泣いてる自分を誰かに知られてしまうことは、なんだか現実に起きたことを確認してしまうような気がした。
1人は女の子で、私は大好きだった。
7年前に突然失った哀しみや、彼女が最後に書いた手紙が私宛と知ったとき、本当に苦しかった。
彼女は死んで、私が生きてるという意味が何か答えがなくて。
もう1人は男の子だった。少し前までこの空の下にいたのだと思うと、なぜ今はいないのか納得出来なかった。
2人とも、いつでも会えると思っていたのに。
哀しみが時々、こぼれ落ちそうになる。
当たり前のことは、何も無いかもしれない。
きっと、彼らはもっともっと生きて、もっともっと幸せになりたくて。それからもっともっと、愛する人を愛したかったんじゃないだろうか?
明日があると信じて、明日に託そうと思った想いがあるんじゃないだろうか?
私は今、生きている。
生きている私に、触れることの出来ない彼らを感じれたらいいのに。