テロは、とてつもない力で弱いものをねじ伏せる。
どんな正当な理由も、主張も、無意味にする。
その行為をした時点で、隠れていた悲劇的な過去も、生い立ちも
誰からも理解はされないし、正当化されない。

テロで大切な人を亡くした人達の気持ちを考えると、苦しくなる。
私が、一生抱えていく痛みの中には、理不尽な死を迎えた幼なじみの女の子も含まれている。
もうすぐ、8年になる。彼女を失ってから。
彼女とは生まれた時から、家が隣だった。
だから気付いたら、すでに隣にいる存在。
おかしな事に彼女には姉が、私には妹がいるのに、私と彼女が一番仲良しの姉妹だった。
彼女の母親が再婚したのを機に、引っ越してしまった。
それでも、何度かお互いが電車を乗り継いで泊まりに行ったりもして。
大好きだったから。面白くて、優しくて、本当に本当に大好きだった。
ある日、彼女が住む近くの場所で、彼女と同姓同名の名前が殺人事件にあったというニュースが流れていた。
まさかと思ったけれど、警察から事情聴取をされたことで、目の前に突き付けられた。
彼女が殺された、という現実を。
警察は、この手紙を貰ってないか?あなた宛でしょ。
この男を見た事はないか、今の彼女をどれくらい知っているんだ、
最後に話した言葉はどんなだった・・・・
分からない。覚えていない。
だけど、彼女が殺されている瞬間は私、笑っていたの?泣いていたの?
助けて、という言葉は私にまで響いて来なかったのかな?
本当に聞こえなかったのかな?本当に?

当時、母は云った。気持ち悪いから止めて、と。
その時、友人は云った。運命だったんじゃん、と。
泣いている私に、大切な人は云った。泣いてもね・・・と。
そのうち私は、涙が枯れて、悲しまない自分がいる事を考えると恐くなり、憎むようになった。
どうして、私じゃなかったんだろう?
どうして、助けてあげられなかったんだろう?
どうして、私の命をあげられないんだろう?
私は、死んでしまいたかった。無力で、情けない自分が憎くて仕方無かったから。
世界中の何処を探しても、もう彼女はいないという事実は
彼女は明日も生きているという事が、当り前ではない事実は、
私が生きるという意味さえ、疑問に持たせた。

やっと私は、彼女の亡くなった季節が近づいても泣かなくなった。
絶望の淵って、生きている感覚を奪うものなんだと思った。
今では、彼女を言葉には出せない。
そして、一生消えたりしない痛みなんだと解っている。
理不尽な死は、廻りで生きる人たちを本当に苦しめる。
その痛みは、抱えた者にしか解らないかもしれないけれど
悲しみは共有して生きていかなければ、立上がれない。
今回のテロで、塞がらない傷を増やしてしまった。
怒りが、全て哀しみになったらいいのに。
哀しみで、誰かを思いやれたらいいのに。
私が、高校生だった頃に観た映画は何ていうタイトルだったっけ?
確か高校生の青春を描いた内容だった気がする。
学校で性教育の授業を受けた後、コンドームを配ろうとした。
そしたら先生が、全てのコンドームに穴を開け、
『100%の避妊なんてない。穴の開いた避妊具でセックスが出来ないのなら
 愛情があってしているわけじゃない。穴の開いた避妊具でセックスを
 拒否するような男なら、それほどあなたを大切に愛しているわけじゃない』
そんなの、極論だけどね。
だけど、大事な事実を述べているんだよね。

小学生の息子は、一年生から性教育を学校で受けています。
お偉い方達は、最近の性交の低年齢化に危惧して実施を決めたんだろうけど、
子供が欲しいのは、知識じゃない。知恵だ。
大人の卓上理論を、子供に押し付けるのは止めて。
子供が出来るしくみや、性交の危険さを教えて欲しいわけじゃない。
男と女の体の違いだけを教えて、大事な事を忘れているよ。
ねぇ?どうして、低年齢でやってはいけないのか真実を見せてよ。
じゃぁ、どうして大人はそれを求めるのか、それを教えてあげてよ。
子供は、バカじゃない。理解出来ないことなんて本当は何もないんだよ。

『愛しているからだよ、だから求めるんだよ。
 愛しているからこそ、出来ることなんだよ。
 どんな誰よりも、心から愛しているからだよ。
 愛していなければ、出来ないことだから。』
TADが、息子に答えた言葉。
息子は、セックスに戸惑い、そして傷ついていたけれど、
この言葉で納得し、今じゃTADを愛している。
誰よりも、息子とTADは逃げずに向き合っていると思った。

大人は、心を忘れがちに、またないがしろにした説明をし過ぎる。
人間が好奇心旺盛な生き物だってことを、忘れている。
ダメだって云われる事に、反抗してみたくなる。
やってはいけない事に、興味を示したくなる。
行ってはいけない所に、行きたくなるもんだ。
何故ダメなのか、何故やってはいけないのか、なぜ・・・
其処に、一番大切な事実を無視してはいけない。
セックスに重要なのは、愛しているからこそ、という
情操的な心を置き去りにしてはいけないと思う。
平凡な日常が、とても大切だ。
予定の無い休日が、とても好きだ。
天気に左右される、ちっぽけな自分を気に入っている。
どうしようもないくだらない事でふざけあっている、
そんな時間がとても愛おしかったりすると、幸福に感じる。

私が挫けそうな時、ある男の子が云ってくれた。
『今を生きたいと思う人間の中には、生きられない人がいる。
 どんなに生きたいと願っていても、どうしても生きられない人もいる。
 そんな人間が存在するのに、今を大切に生きれないと云うの?』

親友に、今まで一番辛かった事は何?って聞かれた時、答えられなかった。
幸か不幸か、辛い事は沢山あった。
一生、涙は溢れていくんじゃないかって思うこともあった。
哀しくて誰かに助けを求めても、その手が無い時の方が多かった。
それでも、私は笑う事を諦めても泣く事は止められなかった。
笑うことが自分の身を守る為にあるのだとしたら、
泣く事は自分の心を守る為にあるのだと思ったから。
でも、辛い事は一生、変化しないものじゃない。
薄れたり、知る手がかりになったり、生きるヒントを与えてくれる。
ほら、幸も辛も大して字が変わらないでしょ?
幸せだって、本当は些細なものにしか生まれないじゃないかと思う。
何でも無い日常に、それは常に其処に存在していて。
感謝の気持ちや謙虚な心にしか、気付かないものかもしれない。
成功やお金や、才能ではない代え難いもの。

何度も何度も、辛い出来事に出くわしてしまうと
明日がくる事を恨みそうにもなるけれど。
明日を生きていけることは、当り前じゃない。
私の明日は、きっと誰よりも素敵な日になるんだ、と信じてる。