先日、TADお薦めの映画『ホテルハイビスカス』を観た。

一言でいうと、ユルイ!!メチャクチャほんわかしてる。

主人公のみえこちゃんは、子供らしい子供で素朴で可愛い。

あんなに暑いのに、汗かいてんの??と思うぐらい、

走り回って、遊びまわって、冒険したりする。

時々、聞こえてくる沖縄の歌、壮大な自然、沖縄の日常。

今もっとも旬で人気の、此処とは違う沖縄の世界。

言葉と言葉には、人のぬくもりが溢れている。

家族が、近くにいる存在としての素晴らしさが大げさでなく、

いとも簡潔に単純に、そこにあるということ。

お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、みえこちゃんも、

みんなのお母さんが同じっていうだけで、

その現実は、だから何でしょう?的にあっけらかんとしている。

この、何事にも囚われない主義は現実に沖縄の人の血にはあるようだけど(笑)


沖縄の色を感じたい方には、ぜひ観て頂ければ幸いかと。

沖縄に行きたい方にも、ぜひ行った気分を味わって頂けると思います。

めんそ~れ!!沖縄!!

沖縄

今でこそ、感覚で生きているとか云われても
ははははーそうかも、で笑えるようになった。
だけど、中学や高校生のときには
自分の感覚とか感性とかが、人より情操的だということが
すごく悩みで、無闇に笑うのが辛かった。
『楽しい』ってことが、その年頃には全てで
なんだか重みのある話とか、込み入った話はどこか逃げていた気がする。
単純な善い悪いなんて、誰も主張したりしない。
面白ければいいじゃん、っていう感覚しかない学生時代に
私には逃げる場所が必要だったと思う。
泣いている人だけが、哀しいんじゃないよ。っていうことも
笑っているから、思い詰めた気持ちは存在しないわけじゃない。ってことは。
今なら、それはさらりと容易く云える表現かもしれない。
でも学生時代は多感だからこそ、鈍感になろうとしていた。
照れくさいとか、恥ずかしいとか、そんな程度のことだけど
あの頃は、それがとても重要なことだった。
私には、実はそれがとても窮屈で窮屈で、ものスゴいジレンマで。
もっと感じない人間だったら、楽だっただろうなーって思っていたし
なんで人には気づかないニュアンス的なものを感じてしまうんだろう、と
誰にも云えず、ひっそり悩んでいた。

『askらしい』って言葉がキライだった。
服を選んでも、音楽を聴くにしても、何かを決めるにしても。
いつまでも、それは私にまとわりついて離れなかった。
自分の中では、何一つ私らしいものを感じた事がなくて。
そのうち、私らしくないものを見つけたときに
人はどう感じるのか、少し恐くなってしまったのだ。
その答えを外しても、私らしいと云われるのだろうか。
じゃぁ私は、何色の人間なんだろう?と考えたものだけど。
人によってはピンクを赤というだろうし、緑を青というだろう。
太陽をオレンジと云う人もいるけれど、黄色で描く人もいる。
それでいいんだ、と思えたのは大人に近づいたと感じてから。
私には、私から見る色があるんだから。って思えるようになった。
私は人から見たら、青かもしれないよ。
でも私は、本当は緑かもしれないんだよ。

この週末に、疲れがどっと出た。
今週は、仕事も進まず、家事もスゴくしんどかった。
そんな風に振り返りながら、最近の私の行動を思い出してみた。
変なことに、私が思う私じゃない部分が多いような気がしている。
友人カップルが、変なオヤジから嫌な目に遭わされたとき。
思わず、前に出て『止めて下さい』と云ってしまった。
私は、そんなに熱い女じゃない。むしろ、冷たい一瞥を投げる方だ。
そういうオヤジをマトモに相手にしないし、気にしない。
なのに。その時は、自然と出た行動に変な感じがした。
それから、先日。
オフィスに自販機コーナーがあり、そこには水飲み場がある。
水飲み場は小さく窪んでいて、頭を突っ込む形を取らなきゃ飲めない。
たまたま、そこを通ると体の大きい男性が水を飲んでいた。
そして、飲み終わった後に頭を上にガンッとぶつけてしまった。
私の中で、もの凄い笑いの渦が巻き起こっていたのに
出た言葉は、『大丈夫ですか??』と冷静沈着な態度。
そのときも、自分に『はて?』と違和感を感じた。

なんだろう?
最近、こんなことが多い。
自分では考えも付かなかった、無意識に出る言動。
こんなことが続くせいか、改めて自分という人に気づかされる。
私は、もめ事が嫌いだし、面倒な事は苦手。
他人と関わるのに、もの凄くエネルギーを要するし、
知らない誰かに言葉を掛けるほど、能動的じゃない。
そう思っていたけど、少し違う自分がいるんだなぁーと。
子供みたいに我が儘で、自分勝手で、優しくない人間だと思ってた。
だけど、そうでもないかも??って考え直せた!!(笑)
無意識の中に存在する私の方が、少しは善い人間かもしれない・・・