$レスポンス。-SH380225.jpg


ニーチェの本の一節には、こんな言葉がある。

『約束をよく理解し守り続けるためには、理解力と記憶力が必要になる。
 理解力と記憶力は、鍛錬されて獲得できる知性の一部である。
 相手に対し、あるいは遠くの誰かに対し同情を持ちうるためには、
 充分な想像力が必要で、これも知性の立派な一部である。
 人間的な論理や道徳というものは、知性と強く結ばれ、
 そして、知識のない知性というものはありえない。』





私は、基本的に報道やネットの情報を真実だと思っていない。
人は、私を含め、どんな情報に接したとしても、
それが、たとえ真実に接したとしても、
それを捉えた瞬間に、主観的になるからである。

その人自身が、どう捉えたかによって、
真実は事実となり、情報は作られるからである。

どちらが正しい、とか、どちらが悪い、というのは、
その人の論理や道徳によって、左右されるものだ。
だけど、その論理や道徳でさえ、知識が必要となる。

もし、接した報道が大切な事実を隠していて、
それを知らずに、その報道に接したらどうなるだろうか。
私たちは、猛然と許せない!と思うかもしれない。
自分なりの正義から、何か事を起こすかもしれない。

けれども、報道が正しい、と誰が決めたのだろうか。
常に報道は真実を流している、と誰が保証したのだろう。

もちろん、世界の真実を伝える報道もあるだろう。
高い志を持って、伝える人たちもいるだろう。
だけど、そうではないものを、私たちは気づくのだろうか。
そういう危うさを、情報はたくさん孕んでいる。

たくさんの書物に触れて、読んでみるというのは、
そういった想像力を膨らませ、見極めるということである。
絶対的な正しさなど、この世界にはない。
正しさの定義など、人それぞれ違うからである。

たとえば、
謝る、ということは、よい行いだと思う。
でも謝れば許してくれる、というのは、間違ってる。


想像力、というのは、人間がもつ最大の武器である。
想像力のない人間は、最大の武器をもたない。









え?想像力は、どこに売ってるかって?
そんなの本の中に、たくさん転がっているもんよ。
いやってほどにね。
その中で、あなたは出会うべき人に出会うはず。
その人が、教えてくれるよ。
想像力ってやつをね。
それから、あなたの知りたいことも、ね。

え、あたしの云ってることが論理的すぎて、解からない?
それぐらい、個々に考えておくれよ。
考える、てことをしなかったら、人間の何がいいのよ?
ちっとも、面白くないじゃん。

物事を一方的に捉えて、こうだ!って思うのは、つまらない。
もっと柔軟に、しなやかに、考えたほうが素敵でしょ。
それに、想像力の欠片もないと、誤解をするし。
だからさ、本って大切だ!って云いたいわけ。


大体、あたしはこれぐらいのことを
悠然と議論できる人が好きなの。
うん?そんなのどうだっていい!、って?
あ、そう!
ふーんだ!!!