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すっかり秋に染まったこの頃。
朝も帰りの夕方も、金木犀の匂いに懐かしくなる。

子供の頃、大嫌いだった金木犀の匂い。
なんだか地味な匂いで、キツくて、しつこい匂いが
子供の私にとって陰気くさいものだった。

今は、懐かしくなるほどだから嫌いじゃない、好きなほう。
それでも匂いが好きなんじゃなくて、懐かしく思い出させてくれる一部として。


さっき、衣替えを終えた。
衣替えというのは、半年に一度やってくる手間のかかるシゴトだ。
今日は、その際に古い写真を見つけて見入ってしまった。
写真の私は若くて、なのに疲れてる。
息子は小さくて、無邪気で、楽しそうな笑い声が聞こえてきそうだ。
どの時代も、本当に貧乏だった。

私は子供の時から貧乏で、おやつはトマトとか芋だったのだ。
だから子供なりに甘いものが食べたくて食べたくて、
考えた末に、私は自分でおやつを作るようになった。
小学生のときには、ケーキもタルトもクレープもシュークリームを作れた。

子供時代の貧乏は、辛くない。自分の責任ではないから。
大人になって、親になってからの貧乏は本当に辛い。
明日、我が子に食べ物がなかったらどうしよう・・・という不安は、
今までのどんな恐怖よりも恐かったし、哀しかった。

オムツの代わりにタオルを巻いたり、ミルクの試供品を貰いにいったり。
私の食べられるものはスパゲティの乾麺を茹でて、
バジルの粉をかけただけのを一日一食、食べれればいいほうだった。
笑えるほどの貧乏。漫画みたいな貧乏。
それが私の青春時代だったのだ。
ただ私を救ってたのは、『絶対に幸せになってやるんだ』という執念かもしれない。

今でも、思う。
お金は大切だ。住むにも、食べるにも、買うにも。
だけど、私の貧乏時代は決して不幸せだったわけじゃなかった。
働いて貰う給料の重みや、たまに食べれる美味しいご飯、温かい布団。
息子が健やかに育っていく、それだけで何もかも上手くいってた。
なのに、私はそれをもっと、もっと、って頑張り過ぎたのだ。
一日の半分に労働を費やし、時間を売りさばいてしまった。
その時のほうが不幸せだったなぁーと思う。
疲れ過ぎた精神は、何にも感じないし、何にも気付かない。

時間は戻らないのだ。どうしたって取り戻せない。
だから、お金より時間のほうが価値がある。


疲れた若い頃の私の写真に、私はもう戻れない。
それは、過ぎた時間でやり直せない。
何より我が子を思って哀しくなった貧乏時代は、優しかった。
一日中働き詰めの頃は、息子がグズッただけで腹立たしかった。
そんなのどちらが不幸せか歴然としている。

写真を見ながら、そう思った。