海じゃない

先ほど連絡をもらい、妹の旦那さんのお母さんが亡くなった、とのことでした。
10日間ほど脳死状態で、私が会いに行った時は寝ているかのようだったのに。
心の準備があったにもかかわらず、衝撃的な気持ちなのは『死』だからだと思います。
例え、どんなに後悔しない孝行を重ねてきたとしても、『死』を受け入れるのは、
その死を迎えた人間の周りで生きてきた人にしか分からないと思うのです。
どれだけ悲しみや、思いがそこにあるのかなんて。

私は、人それぞれによって悼み方は違うというのは分かっています。
けれども『運命だった』とか、『やることを終えたから』という言葉で
締めくくるのは、あんまり好きにはなれません。
もし運命というのなら、人は何の為に生を受けるのでしょうか。
やる事を終えたからというのは、生きている人が納得するためでしょうか。
私たちは生きているけれども、本当のところは明日も生きているのか、
誰にも分からないのです。
だけども、この世にいなくなる人が残すものは共通にしてあると思っています。
明日は不確かだけども、だからこそ今日を大切に生きる事。
そして、逝ってしまった人の分まで幸せであろうとすること。
そんな当たり前で気づかないことを改めさせてくれる、
それが故人への大切な悼み方だと、私は思いました。
悲しみに暮れ、思いを馳せ、ゆっくりと歩いていく。
生きている人達が納得するような理由より、
逝ってしまった人の思いを大事にしたい。
そこには、私たちが幸せになる心も詰まっているはずだから。
きっと、逝ってしまった人にもまだ沢山の幸せがあったはずだから。