
詰まってしまったものは、なかなか取り除けない。
喉に刺さった魚の骨だって、一度嫌な思いをすれば食べるのも億劫になる。
そんな風に、人の気持ちでさえも詰まってしまえば簡単には解消されない。
もし人間の感情が単純明快であれば、誰も迷ったり悩んだりしないだろう。
目の前にある事が全てで、耳にした言葉が全ての気持ちを物語るもので。
誰かを疎んじたりも、何かを不信に思う事も、争いごとも起きたりなんてしない。
現実では単純な出来事でさえ、複雑な心境を呼ぶ。
起きてしまった出来事は、思い出すことはなくなっても忘れたりはしないのだ。
私は過去に、私の人生において本当に大事な人、2人を心から憎んだ事がある。
憎悪という言葉は、そのときに身を以て知った。
私の中で、三つの選択肢しか用意されていなかった。
どちらかを失って憎んだままでいるか、
私が大人として許せるようになるまで離れているか。
それとも2人を責めてメチャクチャにしてしまうか。
幾日も悶々として、私は悩んでいた。ずっと。
人を心から憎むというのは、どれだけ自分の醜さが露呈されてしまうのだろう。
私は自分が恐くて恐くて、そんな自分を隠し通す力がなかった。
こんなに自分が醜くて、酷い人間だと誰が思うだろうか。
そんな風に醜くさせる2人がまた許せなくて、そう思う自分がまた醜くて。
無限にそれは繰り返してしまうようだった。
頭の中で、どうして?という疑問がグルグル廻っては答えは一向に出ない。
その時に、それについて責められたらどんなに楽だっただろう。
笑顔で取り繕わずに泣ける事が出来たなら、どんなに晴れやかだったことだろう。
結局、私は自分が許せるようになるまで離れているしか出来なかった。
たった一言の一瞥も、怒りも、何もぶつける事はしなかったのだ。
大事な人を失いたくないというより、考えた末に2人のいない人生を
私には想像することすら出来ないと思った。
心から誰かを憎むというのは、同じぐらいに哀しい気持ちがある。
今でも私は忘れたりはしないし、私が死ぬまで其処にあるだろう。
でも今なら、それを言葉にすることも表現することも出来る。
そうやって、私は今も此処に佇んでいる。
おかしな事に、本当の哀しさや愛しさ、憎むという感情、苦しみ、
そして幸福感を心から味わっていく事ができるのは、幸せな人生かもしれないと思っている。
いつかは、このぽっかり空いてしまっている穴を
大事な2人と一緒に少しづつ埋めていけることができたらいい。
きっと時間は、私の味方をしてくれるはず。