
出来れば、優しい人間でありたいと思う。
けれども優しいとは、決して優しい言葉を吐く人間ではない。
人に優しさを配る人間は、大抵自分がどれだけ人に尽くしたか、
どれだけ心配りをしてきたか、メモに取っているのでは?と思うほど覚えているのだ。
私には、そんな優しさを優しいとは感じることはない。
何でもしてあげることや、何でもフォローする人はイイ人ではある。
そういう優しさを身につけたいわけでもなく、イイ人になりたいわけでもない。
少しづつ、歳を重ねるから滲み出てくる人間的優しさが欲しいのだ。
私の義母は、つまりTADママは今日こんなこと云った。
『もしかしたら怒るかもしれないけれど、
あなたの息子は、私たちにとっての初孫なのよ。
だから、今まであなたがやってきた育て方はあるかもしれないけれど、
おじいちゃんやおばあちゃんとして、孫を甘やかしたいものなの。
高価なものを欲しがったら、私たちにねだるようにしてちょうだい。
ご褒美としてだけ与えるのではなくってね、祖父母に甘えるってことも
大事なことなのよ。その分、コミュニケーションも取れるでしょう?』
人を受容する、ということは立派なことだけれども容易ではない。
だけども義母はいつだって、私たち親子を支えてくれている。
あの言葉を貰ったときに、私は言葉にならなかった。
なんだか胸が、一杯いっぱいになってしまった。
血の繋がりとは、何を意味するのかは分からない。
そして私が義母と同じ立場に立ったとき、同じ事を云えるのか自信もない。
人を受容することや優しさを配る事は、己が強くなければ出来ない。
私もいつかは、義母みたいな母親になりたいと心から思った。
優しい人間とは、そのままの誰かを受容することでもある。
それは受容したと、意識して生まれるものではないと思う。