私がレオ=バスカリアの本に出会ったのは、中学2年の時だった。
『自分らしさを愛せますか』
衝撃的なタイトルに、思わず手にとった。
本書の中で、とても心に響いた大切な言葉がある。

『私は誰もが好きであろう苺である。だけど世の中には、バナナの方か好きという人がいる。
私は、その人のためにバナナになろうと、たくさん努力をするけれど、やっぱり苺にしかなれない。』

そうなんだ。
私は、どう考えてもバナナにはなれない。
そんな事を、きっと私が思うように相手も同じ様に思ってるかもしれないんだ。
もう少しだけ、認めることが出来たなら。
もう少しだけ、相手が立っている処に近づけたなら。
私は、思春期の真っ只かの中で大嫌いな自分を、ほんの少し許そうと思えた。

好かれたくて、認められたくて、完璧でありたくて。
なのに、どれも得られない自分を認めようと。
多感期の私には、この言葉がズーンときた。
だけど、今はそれが忘れがちだったり、何処かにしまいこんでしまう。
それでも時々、誰かが何かを相手に羨んだり、求めたりしていると思い出す。
私は苺で、あなたはバナナなのだから!!